幕間ノ一

「お久しぶりです、お姉さま」
 比叡が病室の扉を開けると、半身を起こしている金剛の姿が目に入る。眼鏡を掛けているから、おそらく本でも読んでいるのだろう。
「これは比叡じゃないですか。お久しぶりネー」
 声を掛けるや、金剛は眼鏡を外して振り向いた。相変わらず顔色はあまり良くないが、その笑顔の明るさが、陰鬱さを感じさせない。
「いつ舞鶴に来たのデスカ?」
「ついさっき着いたところですよ。まずお姉さまのところに飛んできましたから」
「それは、姉思いの妹を持てて、とても嬉しいデスね」
 満面の笑み。つられて、比叡も顔を綻ばせた。
「終戦してから一度もこちらに来れてませんでしたしね」
 花瓶に水を入れ、持ってきた花を生ける。金剛の病室は広く、洗面台まで完備しているのだ。
「Don't mindネ。戦艦がそうホイホイ動けた方が困るのデース」
「それもそうですね」
 花瓶を窓際に置いて、それから比叡は金剛の枕元に座った。窓の向こうには、舞鶴の海がキラキラと輝いている。
「それで、お姉さまの体の調子はいかがですか?」
「so goodネー。特に故障もないし、日本の技術も侮れないデース」
 困ったように快活に笑う金剛。ベッド脇には多くの機械があり、低い駆動音を唸らせている。これらの機械からはチューブが伸びて金剛に接続され、いろいろな液体が行き交うのを眺められる。
「それはよかったです。ここのところ気圧も不安定でしたから、どんなものかと」
 そんな金剛の皮肉を、比叡は受け流す。いつものことだ。
「ここのところはシンドかったネー。今日晴れて良かったデスよ」
 金剛は窓の外へ視線をやった。
「逝くにはfinest dayデース」
「お姉さま、そういう冗談はよして下さい。置いて行かれたら、私たち戦艦、皆路頭に迷ってしまいます」
 比叡は軽く溜息をつきつつ、軽口に応じる。
 確かに、金剛が生きているのは半ば奇跡的とさえいえる。温禰古丹海峡海戦で最後まで戦い抜いた金剛は、再起不能な重傷を負ってここにいる。足りない臓器を機械で補い、ようやく命だけは長らえているのだ。右下腹部から右足にかけての右下半身全てが、金剛にはない。
「それは困るのデース。情けない後輩達ネー。仕方ないから、独り立ちできるまでは生きてるつもりヨ」
 声のトーンは全く変わらない。比叡には、金剛の真意が時々わからなくなる。
「ええ、お姉さまあっての、私たちですから」
「手のかかる妹たちデース」
 うーん、と金剛は背伸び。白い浴衣の袖がずり落ちて、細い腕が露わになる。比叡は目を逸らした。
「ところで、比叡は何の用事でこの舞鶴に来たのデスカ?」
「横須賀鎮守府の縮小計画について、一応艦娘代表として参加せよ、と。提督に付いてヘリで飛んできたわけです。この後、京都に飛んで一泊です」
「秘書艦は大変デスネ」
「お蔭でお姉さまに会いに来れたので、文句なんてありませんよ」
 比叡は心の底からその言葉を口にする。もし都合が合うなら、毎日だって金剛の見舞いに来たい。それが叶わぬ艦娘の、秘書艦の体が恨めしいほどだ。
「ですが、戦争が終わればもっと暇になると思ったのですけれど。それどころか、何ヶ月もお姉さまのお見舞いに来れないとは」
「横須賀も忙しいのデスカ?」
「海軍省の方で本格化してきた人員縮小の流れをなんとしてでも阻止せよ、と。なので、こうして舞鶴・京都詣でというわけです」
「南関東は一面の焼け野原。松代に首都も移転した今、横須賀に大きな兵力を固めておく必要はnothingデース」
「そうではあるんですが、提督は納得できないそうです」
 比叡は首を竦めた。
「艦娘としても、簡単にacceptできる問題ではアリマセン。difficult problemネー」
「戦友と離れ離れになってしまいますから。その土地への愛着というものもありますし」
「我々はsailorデス。obey all ordersであるべきデスガ」
「そうも簡単にはいきませんよ。命懸けで守ってきたその土地と、命を賭けあった戦友と離れるのには、良くも悪くも抵抗があるもので」
 す、という言葉は、金剛の指に遮られた。細い腕が、比叡の口元に伸びている。
「比叡、艦娘とはsailorデスガ、同時にofficerでもアリマス。特に秘書艦ともなれば、軍の運営の一翼を担っていると自覚すべきデース。口には気をつけないと、いけませんヨ」
「……はい」
「軍人が、人や土地の縁に結びつくのは、決してあってはならないのデスよ。それくらい、比叡もわかっているでショウ?」
 金剛の指が離れていく。金剛の表情は、相変わらず柔らかい。
「……軍閥化、ですか?」
「その通りデース。軍閥になってしまえば、どうあっても国を乱すだけになりマス」
 軍閥。艦娘とは、戦略兵器として非常に優秀である。かつ、それぞれの個人に大きく依存している。軍閥化しやすいことは、しばしば議論されるものだ。
「確かに、心情的に離れたくないのは、私もわかるネ。それでも、must obey all orders。それが、大原則デース」
 金剛の言葉に、比叡はゆっくりと頷いた。
「わかってくれれば良いのデース。比叡には、これからもドンドン活躍してもらわないと、困りますからネ」
「もう勘弁して欲しいですよ」
 比叡はまた溜息。秘書艦なんていう、政治力とコネとを駆使した繊細な駆け引きの世界は、自分には似合わない。比叡は、慣れないことばかりに、頭が痛いのだ。
「そうも言ってられないのデース。比叡は、しばらく引っ張り凧になりますヨ」
 金剛の言葉は、比叡にはとても受け入れたくない言葉。だが、そうも行かないのは、比叡自身が一番良くわかっている。
「これから国防問題も大きくなりますしネ」
「国防、ですか。お姉さまも、今朝の新聞読んだのですか?」
「伊達にヒマして無いのデース。Timesも大騒ぎネー」
 端末で海外の新聞が読めるのは救いネー。そんな金剛の呟き。さりげなく話題を変えたのには、付き合ってくれるらしい。
「ポーランドに続きフィンランドまで、ソ連に土地を譲り渡すとは思いませんでした」
 今日の新聞は、どれもフィンランドが北部ラップランドの一部をソ連に割譲する、というニュースが一面であった。どこも大騒ぎである。
「どこも借款に首が回らないのデショウ。独立が保証されただけでもマシかもシレマセン」
「……そうですね」
「日本もsame conditionネ。きっと近々、そういう話が出ますヨ」
「嫌な話を聞かせないで下さいよ、お姉さま」
 立場柄、比叡だってそういう話を耳にする機会は多い。日本もまた、逼迫した状況に置かれていることは知っている。だが、それを真正面から受け止めたくは、ないのだ。
「比叡も、苦労してるのデスネー。さすが古参の秘書艦デース」
「私には向いてない仕事ですよ」
 戦争していた時期よりも、かえって大変になったような気がする。そんなことを、比叡は思っている。
「山城もボヤいていたヨ。殴り合いしていた時の方がよかった、とネー」
「おや、山城もこちらに?」
「昨日ネ。比叡と同じように佐世保から日帰りだと言ってたヨ。艦娘の利益代表をやるのは、戦艦空母の仕事だから仕方ないことデース」
 比叡は、山城の心底嫌そうな顔を思い浮かべた。腹の探り合いのような人間関係、山城は嫌いだろうから。
「いやはや、こうなるとは思いませんでしたよ」
 艤装を付けるより、礼服を着ることが増えてしまった今日この頃。数ヶ月に及び、いよいよ飽き飽きし始めているのも事実である。
「frustrationが溜まってますネー。息抜きしてますカ?」
「こうやって、お姉さまとお話しするのが、貴重な息抜きですよ」
 力無く比叡は笑うしかない。
「そうですカ」
 金剛もまた、曖昧に笑うのみである。こうやって、金剛が話に付き合ってくれるだけで、比叡は何よりありがたいのだけれど。
「それより、他の皆がどうしているかとか、知ってますか? 今回も、お姉さまに会うくらいしかできなさそうで」
「動けないワタシに聞いてどうするネ」
「お姉さまのところには情報が集まりますからね。艦娘の話なら、お姉さまに聞くのがいちばんです!」
 金剛が、端末を駆使して多くの艦娘とやり取りしているのを、比叡は知っている。多くの艦娘が、金剛を頼っているのだ。あの付き合いの悪い山城でさえ、金剛の見舞いにはちゃんと来る。いわんや他の艦娘をや、といったところだ。部屋の様子を見る限り、毎日誰かが来ているようである。
「私がいなくなったらドウスルネ」
 ため息ひとつ。
「その時はもう誰も戦艦を纏められなくなるだけですよ。それに、お姉さまはどこにも行かないですよね?」
 比叡がそう告げると、金剛はもう一つ溜息をついた。
「マッタク……。それで、他の艦娘の様子ネ」
「はい」
「ソウネ、とりあえず、山城も、随分とfrastrationを溜めていたようデスヨ。やはり、佐世保もhave many troublesみたいネー。特に、駆逐艦はいつ鎮守府がなくなるか、疑心暗鬼で大騒ぎだそうデース」
「横須賀も似たようなものですからね。今時、どこもそうですよ」
 比叡の苦笑いに、金剛も合わせてくれる。
「この間見舞いに来た、呉の浜風も色々ボヤいてましたネ。駆逐艦をまとめるだけで一苦労だ、ト」
「無理もありませんよ」
 結局、現状のしんどい話に戻ってしまう。艦娘同士の話といったら、その話題しかないのだろう。仕様もないところか。
「By the way、比叡はSevastopolの話を聞いていますカ?」
「えっと……。セヴァストポリというと、ソ連の戦勝記念式典の話でしょうか?」
「Exactly! あの話、瑞鶴と大鳳とがdecline the invitationしたデショウ。あの話、結局山城と駆逐二杯、ということで決着したそうヨ」
「それは初耳ですね!」
「公式発表はまだデスから。私は、山城から直接聞いたのデース」
 これだから、金剛には情報が集まるのだ。
「でも、山城は嫌がりそうですね」
「愚痴の半分は、宮仕えの悲しさだったケド、もう半分はSevastopol行への愚痴でしたネ。私に代わって欲しいだの、伊勢か日向かを行かせればいいだの、言いたい放題デシタ」
「山城の、心底嫌そうな顔が思い浮かびます」
 スッと鼻筋の通った切れ長の美人の山城は、ただでさえやや近寄りがたい雰囲気を持っている。機嫌が悪くなると、ますます目線に力が籠って、怖い。
「But, That is better ideaネ。山城なら無難デスヨ」
「それはそうですが」
「Besides, we don't have a choice. 相手の格式とこちらの手の内を隠すことと、両方考えれば、旧式の戦艦しかありえないのデース」
 金剛の言葉に、比叡は静かに頷いた。空母は虎の子。そう簡単に、他国へ行ってその力を見せるわけにもいかぬのだ。
「Therefore、行くなら比叡か山城が妥当デース。実際、一時は比叡という話もあったのですヨ。最古参ですし、Diplomatic Countesyもわきまえてますしネ」
「それも初耳なんですけれど……」
 というか、海軍省内の決定事項についてどこで聞いてきたのだか。比叡には、こうした金剛の人脈が、恐ろしくさえある。
「デスガ、横須賀の提督が頑として譲らなかったのですヨ。おそらく、比叡を盾に鎮守府縮小を断行されることを嫌ったんでショウネ」
「ひぇぇ……」
 比叡の想像する以上に、海軍内の闘争は複雑化しているようだ。
「Unfortunateデシタネ。もう少しで、海外出張できたんデスヨ」
「いえ、いいです。なんか、行ったら行ったで、きっと胃が痛くなったでしょうし……」
「この間Magadanに呼ばれた駆逐四杯は、もうそれはそれは楽しい時間を過ごせたそうデスヨ?」
「駆逐と戦艦とでは、責任の重さが違いますからね……」
 別に駆逐艦のことを下に見ているつもりはない。しかし、その厳然たる戦力差は、責任の差につながると、比叡は思っている。第一、本当に気軽に過ごせると思ってるなら、どうして外交儀礼(Diplomatic Countesy)の話が出るのか。
「比叡が、ちゃんと責任感というものを持っていてくれて安心シマシタ」
 大げさにほっとして見せる金剛に、比叡はまた苦笑い。
「それから、Magadanで思い出しマシタが、幌筵については最近大きな話題になっているそうデース」
「幌筵が?」
 幌筵には、榛名が提督として赴任している。金剛や比叡にとっても、関係の深いところだ。
「空母か戦艦でも下げる、とかそういう話ですか?」
「閉鎖する、という話ネ」
「……え?」
 金剛の言葉は、いつもの調子で、だからこそ比叡はやや意味を取れなかった。
「幌筵警備府は解体し、天寧に千島全体を任せよう、という動きがあるのだそうデース。これは、この間長門から聞きましたし、大和もチラリと仄めかしていたので、あながち嘘とは言えませんネ」
 長門も大和も、日本の誇る戦艦として、海軍中枢との繋がりのある二人だ。その二人の情報ということは、金剛の言うとおり、嘘ではないはずだ。
「北辺にアレだけの兵力を貼り付ける必要はvanishしてる、という海軍中枢の判断でしょうネ。戦争も終わったのデスカラ」
「ソ連への牽制は……?」
 と問うた比叡だが、金剛は曖昧に笑うだけ。比叡は悟った。先に、金剛は領土を割譲した話について、"日本と同じ"と述べた。つまり、そういうことなのだろう。
「ですが……」
 幌筵はまずい。比叡はそう思う。あの温禰古丹海峡海戦で活躍したのは幌筵の第五艦隊だった。幌筵は、艦娘にとって、ちょっとした聖地でさえある。
「私も抵抗はありますガ、私的感情でどうこう言うものではないのデス」
 抵抗ないはずはないのだ。金剛は幌筵の旗艦だったのだから。
「……榛名は、聞かないでしょうね」
 今は提督として幌筵を裁量する妹のことを、比叡は思い浮かべた。普段おっとりしている癖に、いざとなるとテコでも動かない頑固な彼女のこと。そんな話を聞いたら、どうすることやら。
「デショウネ」
 金剛もそう考えたようだ。
「But、それではいけないのデス。さっきも言いマシタが、軍人が土地に根付いて国の命令を無視すれば、それは軍閥デス。榛名をそんなモノにしてはナリマセン」
 なりません。私たちが榛名を導かねばならない、と。金剛はそう言いたげである。
「比叡、榛名のことをお願いしますネ。あの娘、ああ見えて無鉄砲デスから」
「それは、お姉さまでなければ、できませんよ」
 自分には、できない。比叡はそう思っている。金剛だけが頼りなのだ。
「私がずっと見ていられるワケではないネ。比叡も姉なのだから、妹の面倒は見るものデース」
 だが、金剛は笑ってそれを否定する。金剛が、自分や榛名のことをどう思っているのか。比叡には、わかりかねた。
「それから、大湊の大和デスガ……」
 それっきり、金剛は話題を変えた。比叡も、少し後ろ髪を引かれながらも、次の話題に乗っていく。

 相変わらず、金剛には敵う気がしない。そうしようという気さえ起こらない、というのが比叡の感想である。
 生命維持装置により辛うじて永らえるだけの境遇にあって、文句ひとつ言わず、それどころか他人に気を回す余裕がある。驚嘆すべき強靭さだ。
 それだけに、悲しくなるのだ。もし、金剛が元気であれば、と。
 そもそも、金剛型の四姉妹を纏められるのは、金剛をおいて他にはいない。それは自明である。榛名のことを任されても、比叡にはどうしようもない。そんなように、思えてならない。

 温禰古丹海峡海戦の時、比叡はひとり横須賀でその報を聞いた。自分の手の届かぬところで、金剛と榛名とは二度と海に浮かべぬ体となり、霧島は海の底へと消えて行った。
 それ以来、ずっと思うのだ。なぜ自分がその場にいなかったのか、と。あれ以来、何かが比叡の中で噛み合わない。何か致命的な齟齬が、特に榛名との間にある気がしてならない。
 きっと、話し合ってもわかりあえないだろう。そんな確信が、比叡にはある。少なくとも、自分では榛名を説得できない。そんな風にしか、思えない。
 せめて霧島が生きていれば。金剛が元気なら。

 比叡は自分の両頬を手で叩く。そんな弱気ではいけない。自分の取り柄はこの陽気さ。それを失ったら、おしまいだ。
「気合、入れて、いきます」
 小さく小さく、比叡は呟いた。





続く

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