宗暦(そうれき)どの、漸く終わったようですな」
 低いながら通る声に、宗暦は振り向いた。首をすっと回すその動作は、傘寿と思えぬ軽やかさだ。
「これは道雪(どうせつ)どの」
「この度は御苦労でございました」
「なんの。殆ど道雪どのがやったに等しいこと。儂は何もしておらぬよ」
 足を投げ出して座った道雪に、宗暦は白髪首を掻きながら答える。
「何を申します。宗暦どのでなければ、軍を纏めることだに敵わぬでしょうに、斯様に城を落とすところまでこぎつけたこと自体が、宗暦どのの尽力によるものに違いありませぬ」
「道雪どのも冗談が上手いのう」
 場に宗暦のしゃがれた笑い声が響く。笑いながら宗暦は道雪に盃を渡し、酒をついだ。
「とまれ、勝利に乾杯いたしましょうぞ」
「おう」



――救民(くたみ)の網朽ちて――



 天正十三年長月、朽網(くたみ)三河守鑑康(あきやす)入道宗暦は筑後黒木にいた。筑後進攻の為に編成された大友勢八千の総大将であり、筑前より来援した戸次(べっき)道雪率いる三千とともに、黒木は猫尾城に在する敵を打ち砕いた所である。既に傘寿を迎え、鬢は皆白く、顔には皺が多い。いかにも好々爺然としており、傍目には将とは見難い。しかし一度動けば信じられぬほどに軽快であり、やはり彼は紛れも無く武人であった。

「さて、道雪どのとこうして酌み交わすのはいつ以来か」
「はてさて、いつのことでしたか」
「ひょっとすると、まだ宗歓どのが生きておったころか?」
「然様かもしれませぬ。とすると、元亀か、永禄の末か」
「今年が天正の十三年なれば、もう十五年以上も前のことになるのう」
「久しいことであります。にもかかわらず、宗暦どのは一層壮健のご様子で」
「長く生き過ぎてな、爺捨山を探さにゃならんのよ」
「おお、見つけたら教えて下され」
 老将二人の快活な笑い声が、茅屋を振るわせる。
「しかし道雪どの、そなた、いくつじゃ?」
「七十二でございます。気付けば、干支も六周目ですなぁ」
「そうか、七十二か。ついこの間は、まだこんな子供だったがな。今でも覚えておるぞ。儂が十七のころだったか、戸次の嫡男が挨拶に来るというので行ってみれば、いきなり木刀で殴りかかられたのう」
入田(にゅうた)の次男くらいなら、と思ったのが運の尽きでしたな。宗暦どのに片手で持ちあげられたのは、忘れられませぬ」
 道雪は少々下を向いて頭を掻く。
「そういえばそうだったか?」
「然様、木刀で一発腕に入れたは良いものの、二振りしたところを躱され、首根っこを」
 道雪は右手で、何かを捕まえる動作を見せる。宗暦もまた、膝を打った。
「そういえばそうだったの。その後確か縁側から投げ捨てたのであったな」
「二間ほど飛びました。未だにあれ以上の距離を飛んだことはありませなんだ」
「それはよい経験になっただろうて」
「二度と宙を飛びたいとは思わぬようになりました」
「そうかそうか!」
「互いに、若かったものですな」
「まったくだ。いきなり殴りかかる方も、それをあっさり投げ飛ばす方も、若い若い!」
 二人の笑い声は再び響く。
「それが、互いにこのような歳とはな」
「ふむ、時間も経ったもので」
 宗暦の言葉は、その場をしばしの沈思に落とし込む。既にあれから七十年近くの年月が経ってしまったことに、宗暦も道雪も暫し感じる所があったようである。
「ところで」
 宗暦は酒瓶を道雪の前に差し出す。道雪が軽く頷くのを見、盃に酒を注いだ。
「黒木の娘の話、道雪どのは聞いたか?」
「聞いております。父親の介錯をした後、その首を志賀の小僧に投げつけたとか」
 まさに猫尾城を落とした時の話である。城主・黒木兵庫助家永が切腹する際にその介錯を十四になる娘が務めたという。その娘は父の首を薙ぐや、それを城攻部隊の大将であった志賀湖左衛門尉親次に向けて投げた、というのだ。
「敵とはいえ、あまり聞きたくのない話ではあったがな」
「致し方ありませぬな。我等が何か手を出しようもなければ」
「然様ではあるが」
 ふ、と宗暦は息を吐いた。
「もう少しやりようがなかったか、とも思わぬでもないのだ」
「やりよう、ですか」
「道雪どのの言う通り、手を出す術はなかったといえ、城主の黒木兵庫とは儂も会話したこともある」
「娘のことも?」
「まだ二つか三つの時分であったか、あちこち走り回る元気な娘であった」
「お知り合いでございましたか」
「まあな。そのこと自体には今更なんとも思わぬのだが」
 宗暦はあっさり切り捨てる。
「若い者が、儂らを差し置いて苦労するというのは、如何なものか」
「なるほど。若い頃は、のらりくらりと暮らしたものでございますなぁ。その中で、大人に扱かれて成長したものです」
「道雪どのもそうか」
「全く、あの頃の連中の厳しいことと言ったらありませなんだ」
 二人で、少々渋い顔をして頷く。
「ひとつ今でも覚えて居ることがある。駿河さまと居った時じゃ」
「駿河さま、というと田北駿河守さまか?」
「おお、そうじゃ。あの方はいきなり家を指さすと、儂に『中に入れ』と仰った。いくら茅屋とて人の家、断った途端、『そうか死にたいか』とばかり刀を抜かれて。冗談かと笑いかけたのだが、目が本気でなぁ」
「駿河さまならやりかねませぬ」
「儂もそう思ったわ。故に、致し方なくその家に入り込んでみたところ、今度は中からいきなり斬りかかられたのよ」
「間者の巣だった、と?」
「結局はそういうことになる。儂が刀を抜く前に、駿河さまが全員殺してしまわれたが」
「いやはや、流石は駿河さまですな」
「儂は心の臓が止まるかと思ったわ」
「宗暦どのの心の臓は、何があっても止まらぬと思いますがな」
 道雪の言葉に、宗暦は苦笑する。
「しかし、ようそれで怒りませんでしたな。儂なら、おそらく勢いで駿河さまにも斬りかかっております」
「実際に臼杵民部さまに斬りかかり、のされておったではないか」
「……そのようなことも、ございましたな」
 今度は道雪が苦笑いを見せた。どうしてだったか、詳しく覚えてはいないが、そんな大した出来事ではないだろう。聞いた時に呆れた記憶だけがある。
 しかし田北駿河守親員(ちかかず)にしても臼杵民部大輔長景(ながかげ)にしても、もう随分昔に亡くなった人たちである。もはや宗暦と道雪くらいしか、彼らについての名前は出ないかもしれない。こうして人は、名のみになるのか、と宗暦は思う。
「しかし、そうして儂らも厳しく行こうと思えば、若い者は儂らを差し置いて勝手に苦労を背負いこんでおる。これでは、儂らの出番がないではないか」
「そうですかな」
「儂らは、大層遊んでおるからこそ、しばかれても大丈夫であっただろう」
「今の若い者も変わらぬと思いますが」
「ふむ。儂らのころに比べると、ずっと若い者は自分で苦労しているのだと思うのだが、どうか?」
 父の首を切り落とすまで行かずとも、大友が衰退していくこの状況。自分たちほど能天気に生きてはいないだろう、と宗暦は思っている。
「それでも、やはり儂らは厳しくゆかねばならぬと思っておりましてな」
 ああ、と宗暦は気付く。
「そなたは変わらぬな。相変わらずの尖り方よ」
「儂は儂の道を歩むのみでございます」
「何があっても、そなたは道を歩み続けるのぅ」
「ごく普通のこと。世間が変わろうと、この道雪は変わらず進むのみ」
「それは、道雪どのにしかできぬ」
 この道雪という男は、大友家臣の中でも随一の勇将である。それは宗暦を初めとして誰もが認めるところ。同時に、宗暦は彼の真似なぞ到底敵わぬことも知っている。
「そのようなことはございませぬ」
 道雪の目は、ふっと締まった。まるで鷹が獲物でも見据えたような、畏怖を与える視線。
「自らが道を信じつづければ、それでよいのです。道は、そこにあるが故に」



 秋風が三日月を吹きさらす。濃紺の闇の中に、星々が瞬いていた。
 宗暦は月を眺めつつ、盃を煽る。あまり酒は残っていない。

 天は変わらぬものだな、と宗暦は星を見上げた。幸いにして、この歳になっても体は頑健。小さい星も見える。どこにも障りはない。昔から、それだけが宗暦の自慢であった。まさかここまで長生きすることになるとは、思っていなかったが。
 宗暦は星を数え上げながら、自分の昔の記憶を思い起こしていく。自分の記憶にある限り、星も月もまるで変わりがない。不思議な感覚であった。物事が次々と代わってゆくのに、星だけは何も変わらない。父が死に、田北駿河守が死に、臼杵民部が死に、先代当主が死に、吉岡宗歓が死んでも。黒木兵庫の首が、娘の手で宙を舞っても。
 そういえば、と宗暦は思い起こす。先代の大友当主に『日本書紀』の話を聞いた時だ。星の神の天津甕星(あまつみかぼし)は、悪神として力を振るっていた。故に討伐の対象となったが、ついぞ退治されることはなかったはず。諏訪の神さえ退治した彼の建御雷命(たけみかづちのみこと)でさえ、天津甕星を退治し去ることはできなかったのだ。
 きっとそういうものなのだろう。川は動き、海は波立ち、山は崩れ、地さえも揺れる。そんななか、星のみは不動。だから、退治することも敵わぬに違いない。

 入田家の次男として生まれた宗暦は本来、部屋住みで一生を終えるはずだった。それが、偶々近くの朽網氏の名跡を継ぐことになり、大友家家臣の末席に座れることとなる。そんな栄光を得られたのだから、自分はきっとどこまでも行けると、そう思っていた。思いながら功稼ぎに焦っていた。あの頃は星空を見上げるたびに、月の如くならんと決意したものだ。星全てを集めても敵わぬほどに輝く、月に。
 それを完全に打ち砕いたのが、かの道雪である。宗暦が二十八の時、まだ十五の若輩に過ぎなかった道雪は、しかし三千の手勢で以て五千の籠る豊前・馬ヶ岳城を落として見せたのである。馬ヶ岳城と言えば周防大内氏の豊前経略の拠点であり、豊前有数の山城であった。にもかかわらず、道雪は敵より寡勢で以て落城せしめた。
 それを見た時に、宗暦は気付いたのである。自分とは桁の違う人間がいるのだ、と。道雪は、本当に月の如きなのだ、と。そしてそれ以来、道雪とは行動を共にすることも多かった。朽網家と戸次家は居城も近く、家としてわりあい親しい関係にあったからだ。
 だから宗暦は、道雪が自らの道を進んでいく様子を見続けてきた。彼にとって、障害とは破砕し尽くすものでしかない。道雪は、ただただ自らの道をひたすら突き進んでゆく。全てを成し遂げ、邪魔する者はいかなる者とて容赦せず、前へ前へと進んでいる。
 彼にとって、黒木の悲劇もまた邪魔に過ぎなかったのだろう、と宗暦には思える。たった十四歳の小娘が介錯させられた、というのだって道雪の道を遮ったが為のものであり、致し方の無いことなのだ。きっと道雪は、そう言って切り捨てる。それが道雪には、できるのだ。

 ただ、たったひとつだけ、思った。十四の娘が、父の首を投げつける姿を切り捨てられるとは、どういうことなのだろうか、と。



 宗暦は、ふっと立ち上がった。手にある素焼の盃を、叩きつけて撃ち割る。小気味の良い音の鳴るや、刀を引き抜くと、傘寿とも思えぬ姿で正眼に構えた。
 視線の先には、月がある。星の光をも打ち消すほどに輝く、眩しい月だ。

 やっ、と宗暦は気合を入れ、刀を一閃。太刀筋は過たず、月を両断する。


 三日月は、何も変わらず闇夜に笑っていた。




月は今も変わらず夜を突き進む。
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