その報はあまりにも突然で。
 私はまるで、殴られたかのようだった。

 でも。

 どこかに、さして驚かぬ私がいた。




















英雄雑考 ――英雄・高町なのは論




















 私は、自分の耳を疑う他なかった。自分の目を疑う他なかった。
 まさか、そのようなことがあろうか。いや、あろうはずはない。
 私は、だから聞き直した。今、なんて言ったの、と。とても受け入れがたいその話に、私はそうせざるを得なかったのだ。

「高町なのは一等空尉は、殉職した」

 通信画面の向こうのシグナムは、しかし、同じことしか言わなかった。
「そんな……」
 なおも私は言い募ろうとして、しかし、言葉を失う。
 誇り高きベルカ騎士たる彼女が、古風で凛然とした彼女が、涙を流している。
 シグナムがもたらした情報は、あまりに唐突だったし、衝撃的である。衝撃的ではあるし、信じたくもなかったが、その様子のシグナムを前にして、信じざるを得ない、そう思った。
「どうしてッ!」
 それでも、私は一縷の希望を持って、聞き返す。画面の向こうに、なのはがひょっこり現れて、「ごめん、驚いた?」なんて言ってくれることを、どこかで望んでいた。シグナムが、柄にも無く演技をしているのだ、とそれを望んだ。
 もちろん、管理局の公の通信であるから、それがありえないことくらい、わかってはいる。シグナムの性格を考えればとてもあり得ぬことだと、わかってはいる。それでも、そうして信じていなければ、私はどうにかなってしまいそうだった。
「大丈夫か? 今話しても」
「お願い、教えて!」
 殆ど叫ぶように、言葉を投げつける。とにかく、この話を聞きたかった。私が、信じるべきなのかどうか。
「そうか。ではな……」
 シグナムは肩で涙を拭うと、いつもどおりの硬めの表情に戻って、話を始めた。



 シグナムの話は、予想以上に詳細なものだった。私は、その話を前にして、いよいよそれが本当である、と観念せねばならないようだった。もはや、髪一本の希望の入る余地さえ存在しないのだと。
 しかし、その話を聞いていると、私は最初の一撃から少し頭が冷えてくるような気もするのだから、不思議なものだ。きっと、なんとなくそのような話が、納得できるような、そんな気がしたからだ。勿論、なのはが死ぬなんてとても信じたくない話。でも、そのようになのはが死ぬのは、ありえなくはない、とも思えたのである。

 なのはは、とある次元世界で民間人救助に携わっていたらしい。他次元世界の軍によって襲われた街の救助。要するに、次元世界同士の紛争への介入である。普段は教導官であるなのはも、空戦魔導師の不足やなのはの高い技量のために、よく現場へと呼ばれていた。今回もそんな話だったそうだ。シグナムが司令官の一だったということも、なのはにとって参加する理由になっただろう。
 それは民間人を無事救助し、安全なところへと護送する途中だったという。突如敵の奇襲を受けて壊乱の危機に瀕し、なのはが殿として敵を引き付けたそうだ。そうして仲間や民間人を残らず救った。自らの命と引き換えに。

 あんまりに、彼女らしいのだ。いつも、人のために空を飛ぶと言っていたなのは。そして、どこまでもただ空の人であろうとし続けたなのは。いつまでも飛ぶことはできないけれど、そこまでに何を為したかが大切だ、と述べたなのは。人のために墜ちるのは、あまりになのはらしいとしか、言えない。
 もう私は、ただ涙を流すことしかできなかった。どうしようにも、もはや否定する要素がない。なのはは、どこまでもなのはのまま逝ったのだ。むしろ、そこは否定してはいけないのではないか。そうとさえ、思えた。
 ならば、私はまず立っていなければいけない。なのははどこまでなのはだったのだから、私も、少なくとも彼女に別れを告げるまでは、私でいないといけない。取り乱しては、なのはが心配してしまう。そう思った。だから、この荒れ狂う感情を、私はまず抑えなければいけない。私は、冷静なFate Testarossa Halaownでなければいけない。
「なあ、テスタロッサ」
「なんですか?」
「あまり無理をするな。お前を大切に思う者も多いのだからな。私では役に立たんだろうが、抱え込むな」
「はい。……ありがとうございます」
 あまり感情を表さぬシグナムであるけれど、私のことを気遣ってくれているのはよくわかる。将である彼女の洞察力を舐めてはいけない。
「お前も、こっちにとりあえずは帰ってくるのだろう?」
「……はい」
「では、その時にでもゆっくり話さないか。いろいろ、積もる話もある」
「ぜひ、喜んで」
「ではな」
「また」

 通信が切れると、一気に疲れが襲ってきて、私はそこに崩折れた。あまりに衝撃的な話。少し、自分の中で色々な整理が必要だった。
 しかしながら、同時に、思ったより冷静な自分がいることにも、私は気づいていた。少なくとも、冷静でいなければならない、と私に言い聞かせられる程度には、私は冷静なのである。15年前とは、大違いだ。

 最初になのはが墜ちた時。私が、一度目の執務官試験を直前に控えていた15年前のことだ。考えてみれば、あの時も一報を入れてくれたのはシグナムだった。いらぬ一致に、私は溜息をつく。
 ともあれ。あの時私は、なのは墜ちる、の報に無様にも気を失った。
 でも致し方ない、と思う。私にとってなのはは最初に出来た親友であり、私を救ってくれた恩人でもある。その彼女を失うのは、私には半身を失うよりも恐ろしいこと。11歳の私には、とても耐えられない出来事だった。
 私にとってのなのはの立ち位置は、今も変わらない。だいぶ階級も役職も離れてしまって、会う機会は減ってしまった。それでもやっぱり、なのはは私にとっての太陽だ。それがもう二度と輝かないなんて、信じられない。
 それでも、今回は、私に自分を分析する余裕がある。もちろん、衝撃は衝撃で、今だって私はどうしていいのか、さっぱりわからない。ここから、立ち上がることはできない。

 しかし、いざ殉職と聞いても、私はこうして衝撃を受けながら、自分を分析する余裕がある。それがどういうことか、薄々わかるような気もした。
 私はなのはが逝くことを……。


 任務にあった私が本局へと帰り着いたのは、情報を受けてから5時間余り後のことだった。他次元世界との折衝任務で艦に乗っていたのだが、ミッドを出てすぐであったのが幸いした。
 すぐにでも本局で情報の確認をしたかったから、その5時間はもどかしかったし、まるで数日にも思える程に長く感じられた。もはや寸分の疑う余地はないとわかっていたけれど、自分で、目の前でそれを確認しなければいけないと、思った。
 しかしその5時間が、私にはとても有り難いものでもあった。私はその千々に乱れた心を少しでも落ち着けることが出来たのである。大きな衝撃を、受け止められるように。なのはに、少しでも普段の姿で、会えるように。

 そうしてついた本局であるけれども、しかしまだ本局にも詳しい状況は届いていなかった。そこではじめて、私はシグナムの心遣いを知る。シグナムは、本局に最低限の報告をした後直ぐに、私の方へと連絡を回してくれたようだった。シグナムの心遣いには感謝である。
 まずはシグナムらの到着を待て、ということで私は待機部屋へと回される。すぐにでも時間が惜しかったけれども、着いていないのでは仕方がない。私は案内された部屋へと向かった。

 その部屋には既に、多くの関係者が集まっていた。はやてを初めとした旧六課の皆や、なのはの教え子。いまや第一線で活躍する管理局の柱たち。
 私にとって、久方振りの人も多かった。私は、現場から本局務めへと移っていて、背広組とも言える立ち位置となってきている。おかげでなのはとさえあまり会わないのだから、前線で活躍する皆と顔を合わせる機会が少なくなっていたのも、当然だ。
 でも、誰も一言も発することはない。それぞれに積もる話もあるに違いないのに、皆一様に暗い顔で、そこに座っていた。それが却って、事態の深刻さを示していて、苦しかった。
 私はただ、いつもの自分を演出しながら、ヴィヴィオを撫でていることしかできなかった。

 なのはと出動していたシグナムが、様々なものと共に戻ってきたのは、私が本局に着いてよりさらに3時間後のことだった。
 私たちのいる部屋に入ってきたシグナムは、いつも通りの表情であった。烈火の将であるシグナムは、しかし将として冷静でいなければいけなかったのだろう。皆を見渡す姿も、殆どいつもと変わらなかった。
「てめぇ! てめぇはなのはを!」
 だからこそ、かもしれない。甲高い怒声とともに、打撃音が部屋に鳴り響く。誰が話すよりもはやく、ヴィータの鉄拳がシグナムを捉えていた。
「ヴィータ!」
「シグナム!」
 誰ともない叫びが響く。シグナムは、ただ黙って立っているだけ。ことさら守ることもなく、倒れることもなく。
「シグナム、てめぇは許さねぇ!」
 ヴィータは右手で何かを取り出す。あれは――
「グラーフアイゼン!」
《Jawohl!!》
 シグナムは、全く動かない。きっと、されるままになるつもりなのだろう。しかしヴィータは本気だ。このままでは、シグナムを殺してしまう。
 だから私はとっさに割り込んで、バリアを張る。ギリギリ、間に合った。グラーフアイゼンの一撃に、紫電が散る。重い。
「フェイトさん!」
 見ると、ヴィータはエリオに羽交い締めにされ、腰にキャロをぶら下げている。スバルにグラーフアイゼンを奪われ、ティアナが私とヴィータとの間に割り込んでいた。
「何するんだ、離せよ! こいつは、こいつはなのはを守れなかったんだ!」
 それでもなお、ヴィータは暴れている。シグナムも、なにも言わずただその罵倒を受け入れていた。
「ヴィータ」
 その場にはそぐわぬような、無表情で静かな声。しかし、一声で場を制しうる声。はやてだ。
「ヴィータ、シグナムは何も悪うない。それに、シグナムに八つ当たりしたところで、どうかなるわけやない。なのはは……」
 そこで、詰まった。唐突な沈黙。誰彼ともなく、嗚咽が聞こえ始める。
「ちくしょう、ちくしょう!」
 ヴィータはそこに座り込んで床を叩き付ける。或いは泣き崩れ、或いはただ唇を噛み締め立ち尽くしていた。これまでの沈黙が、一気に解放されたようであった。
 そんな中で、表情一つ動かさない私がいる。何も出てこない私がいる。
 ヴィータの御蔭で、私は逆に冷静さを再び取り戻していた。この場で最もなのはとの付き合いが長いのは私。私がまずきちんとしていないと、なのはに迷惑だと、そう思ったのだ。
「シグナム」
 だから、至って平静に。
「……どうした、テスタロッサ?」
 シグナムが、少し驚いている。あたりが、静まり返る。
「ご家族への連絡は?」
「既に。本局へ来られると仰っていたが、こちらからできるだけ早く伺う、と話をしておいた」
 管理外世界から本局へ来るのは、聊か面倒なこと。それよりは、私達が海鳴へ伺う方が、きっと楽だ。ご家族には申し訳ないが。
「なのはの遺体は? 回収できた?」
「あ、ああ。それは私が責任を持って、本局へと。必要な手続きを済ませ次第、ご家族に引き渡す次第になっている」
「なるほど。いろいろやってくれてありがとう」
 シグナムは、どうやら仕事を一手に引き受けてくれたようだった。私への連絡、ご家族への連絡。きっと、大変だったに違いない。だから、私は軽く頭を下げる。
「やって当然のことをやったまでだ」
「他にやることは?」
「とりあえずはないな」
 シグナムの声色が、少し低い。
「そう」
「テスタロッサ、」
「なのはの遺体には、会えるかな?」
 シグナムの声を遮る形で聞いた私に、彼女は黙り込んだ。はやては、絶句したままこちらを見ている。エリオやキャロが、下を向いている。
 私だってわかっている。今の私が、どんなに痛々しい姿かなんて。それでも、私はここで泣いてはいけない。なのはを困らせては、いけないんだ。
「……ああ」
 表情を変えぬシグナムが、しかし、苦々しい表情を浮かべているように見える。
「会える。テスタロッサ、先に会ってくるか?」
「うん。そうする」
 私がつとめて平静に返すと、シグナムは情報端末を投げてよこした。
「そこに場所が入ってる。鍵にもなっているから、使って入れ」
「ありがとう」
「他の者には、ひとまず私からいろいろ詳しく説明をしよう。それでいいな?」
 私は皆に背を向け出口へ向かう。彼ら彼女らとは思えぬような弱々しい、はい、という皆の声が私を部屋から押し出した。


 薄暗いその部屋の真ん中に、無骨な鋼のストレッチャーが置かれている。彼女は、その上で眠っていた。
 寝息一つ聞こえず、胸先さえ動かさず。静寂に、眠っていた。
 制服姿のなのはは、傷さえ全く見当たらない。本当に、ただ眠っているようだった。顔に掛けられた白い布さえなければ、私は彼女が死んだと、そうは思わなかっただろう。死者の顔に白い布を被せるのが、第97管理外世界地球は日本の風習なのだと教えられていなければ、ただのいたずらと思っただろう。これも、シグナムの気遣いなのだろう。彼女はあくまで、日本の人間なのだ、と。
 私は、枕元に近づくと、その顔に掛けられた布をゆっくりと取り払った。

 彼女は、なのはは、穏やかに眠っていた。すこし、笑ってさえいた。

 ぼろり、と涙が溢れる。最期のお別れを言うまでは、いつもの私でいようと思ったけれど、ダメだった。なのはの顔は、あんまりにいつもの通りで。私は満足だったんだよ、なんて言い出しそうな、そんな表情で。
「な、なの……」
 名前すら呼べない。私は、なのはの体にすがりついた。
「なのはぁ……!」
 目を覚まして、なんてとても言えない。だってもう、彼女の体は、こんなに冷たいのだ。
 ただ私は、涙を流す。言葉をすべて、心に押し込んで。
 言ってはいけない。だって、なのははこんなにいい顔をしているんだ。
 そんな彼女に、戻ってきて、とか、どうして、とかそんなことは。
 とても、言えない。

 だから私は、やっぱり、いつも通りに、彼女を送り出さないといけないんだ。
 なのはがこんなにいい顔をして旅立つのなら、私だってそれに応えないといけないんだ。
 でも、ここだけでは。今だけは。

 ちょっと、なのはの横を、濡らしてもいいかな。
 この部屋から出た時に、私が普段通りあるために。


「ごめん、遅くなっちゃった」
 結局、部屋に戻ってきたのは一時間くらいしてからだった。なかなか、目の腫れが落ち着かなかった。結局、少し化粧でごまかした。
「大丈夫ですよ」
 答えを返してくれたのはティア。両目とも真っ赤に腫らしているけれども、それでもまだ彼女はまともに動いている方だろう。まるでこの部屋自体が、死人の集まりみたいになっていて、あまりに笑えない状況だった。無理もない、のだが。
「私だけがなのはを独占しちゃってごめんね」
「いえ……」
 なのは、という言葉にティアの表情が曇る。
「会って来たければ、皆も会ってくるといいよ。私は、シグナムの手伝いしてくるから」
「はい……」
 言って、ティアに端末を手渡した。シグナムはきっと、またいろいろ動いているのだろう。私も、行かないと。
 彼女たちの後ろ姿を見届けて、私も足を踏み出そうとした。
「ねえ、フェイトちゃん」
 踏み出し掛けて、再び向き直る。
「フェイトちゃんは、大丈夫?」
 はやてだった。ティアについていかず、部屋の奥に座ったままだ。
「どうして?」
「だって、なのはちゃんが……」
「だから、私は普通でいるの」
 私は、はやてに笑ってみせた。笑えたかどうかは、わからない、けれど。
「立派にやらないとね、そうしないと、なのはが心配するから」


 それからは、しばらくドタバタだった。
 本局でのいろいろな事務手続きや、なのはのご家族への説明・謝罪、地球の日本政府への裏工作、葬儀の手配。なのははミッドや管理世界の出身ではないから、何かと勝手も違う。自然、向こうに詳しい私やはやて、ヴォルケンリッターが動かざるを得なかったのである。
 それに、なのはの家のこともある。なのははヴィヴィオと二人暮しだったから、なのはが亡くなってしまった今、ヴィヴィオは一人になってしまった。かといって誰かがヴィヴィオを引きとって引越し、ということになると学校の問題もある。結局、一人暮らしで身が軽く、かつ今は本局勤務で定時勤務の私が、ひとまずなのはの家に引っ越して、ヴィヴィオと生活することになった。そうなると、私が引越さないといけないわけで、ますます仕事が増える。
 でも、それが私には有難かった。ただでさえ、私は私でいるために労力を用いている。そこにこうして様々な仕事が振りかかることで、私はなのはについてきちんと考える余裕を全く失った。そのおかげで、重圧を回避することもできたのである。


 葬儀は海鳴で行うことになった。ご家族もそれを望んでいたし、私もそれがいいと思ったから。結局、最期まで彼女を私たちはミッドに借り切ってしまった。せめて今くらい故郷に返してあげなければならない、と思ったのだ。なのはが生きた証は、海鳴に立てるべきだ、と。ミッドの皆には少し悪いけれど、そちらはそちらでお別れ会をしよう、ということにしたら納得してくれた。皆もどこかで、なのはは帰るべきだと、そう思っていたのだろう。
 それに、管理局はなのはの英雄化を推進しつつあるから、大々的なイベントを考えているようであったし。そうなってしまっては、ますます地球の人々が参加できなくなってしまう。それは、まずいだろうと思った。
 そういう理由で、管理局の関係者の中で葬儀に参列したのは、私たちハラオウン家の三人と、八神家の五人だけ。あとは、高町家の皆さんやアリサ、すずかを始めとする海鳴での友人ばかり。アリサやすずかと会うのは、だいぶ久しかった。私やなのはだけでなく、それぞれ相応の社会的地位にある二人も忙しかったのだ。
「お久しぶりね、フェイト」
「アリサ、すずか、お久しぶり。1年ぶりかな」
 ふ、と笑いかけると、彼女たちも寂しく会釈を返してくれた。
 そして、そのまま沈黙。二人に続ける言葉が、見つからなかった。
「……ごめんね」
 漸く絞り出したのは、その一言。
「え?」
「再会がこんな場になっちゃって」
 ごめん、と。私は、謝らなければならない、と思っていた。
 もし私がなのはを向こうへと連れださなければ。そうすれば、このようなことにもならなかったはず。私は彼女たちからなのはを奪ってしまったのだ。
「こんな形で、なのはを連れてくることになってしまって」
 二人は、ただ目を見開いてそこに固まっている。
「もし、私がなのはを魔法の世界に連れ込まなければ、なのははこんな」

 ばしっ。

 何が起こったか、最初はわからなかった。呆然とアリサを見て、それから頬がじんわりと熱くなって。
 私は、アリサに叩かれたことを知った。
「ねぇ、フェイト。私とあなたって、友達よね?」
 アリサの低い声。爆発することを、必死に抑えているような、そんな声。
「あなたが、まだそう思ってくれるなら」
 ばしっ。また叩かれた。
「ねえ、フェイト。フェイトはさ、私に二人の友人を同時に失えって、そういうの?」
「ええと」
 アリサは、両目に大粒の涙を浮かべている。
「なら、そんなことを言わないでよ! 謝らないでよ!」
 両肩をがっしりと掴まれる。アリサはうつむいて、もう表情が伺えない。
「なのはのことはフェイトのせいじゃない! フェイトが謝ることじゃない!」
 アリサの悲痛な叫びが、私の心に突き刺さる。
「フェイトはさ、私達の友達なんだから。一緒に悲しみを分かち合えば、それでいいんだよ! 私達に謝ることなんて、ないんだから!」
 言って、アリサは私の胸に顔を埋めた。もう我慢の限界だったのだろう、嗚咽が聞こえる。
「ここはアリサの言うとおりよ。ね、フェイト」
 微笑みかけてくれたすずかの目からも、涙がこぼれている。
 いつしか、私の頬にも何かが流れていた。
 いつもどおりの私でいる、とそう決めたのに。
 流れるものが、止められなかった。

 最期の別れの時にみたなのはの顔は、やっぱりどこか満足気な、安らかな顔だった。あっさりと起きてきそうね、というのはアリサの言。いい夢を見てるのね、というのがすずかの言。そのとおりだ、と頷いた。
 皆の供えた花に囲まれて、本当に幸せそう。あんまりに、周りの参列者と対照的だった。まるで、参列者の方が既に死んでいるみたいでさえある。
 そうして、そのまま彼女の棺は閉じられて。


 次に見たなのはの姿は、さすがに堪えた。
 焼かれて骨となったなのは。もう二度と笑ってはくれない。あの、なのはは二度と見ることができない。
 でも、それだけならよかった。それだけなら覚悟はできていた。なのはは帰ってこない、帰ってこさせてはいけない、と。私は決めたのだ。
 だから大丈夫だと、そう思った。
 あんまりに少ない、骨を前にするまでは。

 誰もが驚いていた。いくら、はじめてこういった光景を見る私でも、絶句した。なにより、手伝ってくださる職員の方さえも、驚きを隠せていなかった。
 あまりに少ない骨。脆い骨。
 私は、倒れぬように体を支えるのが、精一杯だった。なのはは、体がこんなになるまで、働き続けていたのだ。負担をかけ続けていたのだ。
 必死に自分を保って、箸を持つ。
 やはり真っ青なはやてと一緒に、大腿骨をつついた。もっともよく残っている、太い脚の骨。それを拾おうとしたのだ。

 少し触ると、崩れた。


 思わず箸を取り落とした。
 はやてが、泣き崩れた。
 参列者の嗚咽が、その場を覆いつくした。


 一体いつだっただろうか。かなり昔のことだったと思う。なのはがこう言ったのは。
「私ね、もう子供産めないんだって」
 なのはがまるで大したことないかのように言ったのは、強い印象として残っている。
「気づいたら生理来なくなっちゃっててね。それで、聞いたらそうだって」
 その場にいた皆が、言葉を失っていた。
「それって」
「やっぱり、酷使しすぎたのかもね」
 どうして、なのはがこんなにも明るいのか、私にはわからない。
「とはいっても、相手がいるわけでもないから、関係ないけどね」
 もう子供もいるし、となのはは笑う。たしかに、なのはには驚くほど浮いた話がなかったし、ヴィヴィオを育てるので大変なのもわかる。
 それに、子宮や卵巣といった生殖器が魔力と関係の深い臓器どあることは事実。ゆえに、酷使されるなのはの体の中で、最初に悲鳴を上げるのは納得だ。私だって、いつも生理不順に悩まされ、しばしばシャマルの所へ通っている。
 しかし、そういう問題ではない。完全に機能を停止してしまった、というならば話は別だ。いったいどれだけの負担をかけ続け、どれだけ苦しみ続けたら、そうなるのだろうか。
 そこにいる誰もが、彼女に一言も声をかけることができなかった。

 最近のなのはは、もう殆ど薬漬けといってよかったかもしれない。私が知るだけでも、食の前後に二桁近い錠剤・カプセルを口にしていた。あまりの姿に、私は何も聞けなかったけれど、きっと、彼女の体全てが、もはや限界だったのじゃないか、と思う。
 それでも、なのはは飛びつづけた。なのはにだって、上に行く機会は幾度もあった。JS事件を初めとして、とうに一尉に留まる勲功ではなかった。私もはやても、その度に昇進するように誘った。一度本局へ来て、と。本局に来れば、なのはが無理することもずっと少なくなる。それに、ゲイズ中将の殉職によって大黒柱を失った陸士は、本局も巻き込んで大規模な派閥闘争に突き進んでいた。その中で、一人でも仲間が欲しかった、というのもある。
 でも、なのはは頑として首を縦に振らなかった。自分は、空の人間だから、と。飛ぶのを辞めるのは、私が星になるときなんだ、と。
 そしてついに、その言葉を叶えてしまったのだ。



 余りにも悲壮だったなのはとのお別れを終えた私は、しかし立ち止まる余裕を与えられなかった。
「本日は、高町なのは二等空佐のご友人であられる、時空管理局情報本部分析部長のフェイト・テスタロッサ・ハラオウン一等空佐に来ていただいております。どうもこんにちは」
「こんにちは……」
 なのはに関わる取材が、次々と訪れたのである。
「本日は、お忙しい中、お越しいただきありがとうございます」
「こちらこそ、お誘いいただいて恐縮です」
 なのはは、英雄になっていた。考えてみれば当然の話。昇進を蹴って現場に在りつづけたエースが、民間人を救って殉職した。まさに、テンプレートのような美談。JS事件やその後の権力闘争によって、評判の芳しくない時空管理局にとっては、絶好の機会というわけだ。ここぞとばかりに、高町なのは顕彰へと動いていた。
 その結果の、取材攻勢。それを任務とされてしまっては、私も受けざるを得なかった。
「では、早速インタビューしていきますが、よろしくお願いいたします」
「ええ、どうぞ」
 あまり人付き合いの好きじゃない私からすれば気が乗らない。
「テスタロッサ・ハラオウン一佐は、高町二佐と親しかったのですよね」
「ええ。幼なじみです。第97管理外世界では、彼女と同じ学校へ通っていました」
 でも、有り難いとも思う。私は、忙しさにかまけていることができる。
「なるほど。さて、そんなテスタロッサ・ハラオウン一佐は高町二佐と過ごした時間も長いわけですよね。そんなテスタロッサ・ハラオウン一佐から見て、高町二佐はどういう方でしたか?」
 それに、皆も取材を受けているのだ。私だけサボるわけにも、いかない。
「そうですね、高町二佐は、優しい人でしたね。どんな人に対しても、暖かく接する人でした」
「なるほど。でも、教導は厳しかったとか」
「ええ。高町二佐の教導は、見てる私達も驚くほど厳しかったです。でも、むやみに厳しいということはありませんでした」
 けれども、一体私は、誰のことを答えているのだろうか。幾度か答えているうちに、私はそう思い始めていた。
「といいますと?」
「高町二佐は、無理や無茶を嫌ったんです。だから、少しでもそうやって無理な背伸びをしようとすると、いつもきっちりたたき落としていましたね」
 ここで答えるなのは像は、本当に素晴らしい人物としてのなのはだ。英雄にふさわしい人格と才能を持ち合わせた、なのは。
「しかし、生徒が背伸びするのも、成長のきっかけになるのではないですか?」
「学校ならばそれでもよいとは思います。けれども、我々管理局の赴く場というのは、命の危険に晒されることもある場です。その状況では、無理なことはしないのが鉄則です。そこをまず叩きこまなければ、魔導師として生き残ることはできませんから」
 さて、問題だ。なのはとは、そういう人物だっただろうか。
「なるほど。ありがとうございます。続いて、少々不躾な質問となってしまいますが、テスタロッサ・ハラオウン一佐は高町二佐の殉職をどのようにお考えですか?」
「……どのように、といいますと?」
 私の知る高町なのはは、優しくて強くて、素晴らしい人間だったのは間違いない。彼女が英雄になるのだって、それほど不思議ではない、と思っている。でも、ここで語られるような理想的な英雄だったか。
「高町二佐殉職に対する御心持ちをお聞かせ願えれば。勿論、お辛いようでしたら構いません」
「いえ、大丈夫です」
 高町なのはは、そんなにつまらない人間だったか?
「当然、最初は驚きましたよ。皆さんも御存知の通り、高町二佐はAce of Aces、不沈の空戦魔導師として知られていましたからね。とても墜ちるとは思いませんでした」
「私も最初は驚きました。このミッドで、驚かない方はいなかったでしょう」
 違うはずだ。高町なのはの高町なのはたる所以は、そのような英雄じみたところではないはずだ。
「そうですね、そのとおりです。でも、だからといって納得できないわけでもありません」
「といいますと?」
「高町二佐は、大勢の民間人や仲間に殉じました。それは、全く彼女らしいな、と」
 では、とさらに考える。なのはとは、どういう人間だったのだろうか。
「高町二佐は、常に人のためを考えて働いていた、管理局の鏡のような人でした。だから、人を救うために殉じたというのは、高町二佐の生き様として、納得できたのです」
「本当に、高町二佐は素晴らしいお方だったのですね」
「ええ。それだけに、このような形で別れを迎えてしまうのが、残念でなりません」
 なのはは一流の空戦魔導師だった。ずっと私と共に歩んできたパートナーだった。ずっと私の前に立ちはだかるライバルだった。
「全くです。では、お時間も少なくなってきたので、最後におひとつ質問したいと思います」
 私をこの世界に引き上げてくれた、恩人だった。
「どうぞ」
「テスタロッサ・ハラオウン一佐にとって、高町二佐とは?」
 でも、それだけなのだろうか。その程度なのだろうか。
「ええと……」
 フェイト・テスタロッサ・ハラオウンよ。
 お前にとって、高町なのはとは、なんだったのだ。
「……」
 わからなかった。自分にとって高町なのはは何なのか。そもそも、高町なのはとは、どういう存在だったのか。
 何も、わからない。
 ただ、涙だけが、目尻に浮かんでくる。
「……すみません」
「……こちらこそ、申し訳ないことを聞いてしまいました。申し訳ありません」
 アナウンサーは、この涙をどう取ったのだろう。なのはを悼む、そういう涙に取ったのだろうか。
「それでは、テスタロッサ・ハラオウン一佐、本日はどうもありがとうございました」
「お世話になりました」
 なのはを失ったというのは、どういうことなのだろうか。
 インタビューを受けるたびに、私はわからなくなっていた。


 気づけば、あれから二月。ようやく取材攻勢も収まり、私は漸くの休暇を迎えていた。
 そう、私は完全な休暇状態にあった。上から、というか、クロノから二月ほど休めと、そう言われて放り出されたのである。
 だけれども、私にとってはあまり芳しい状態ではない。眼の前から仕事を失った私は、なのはのこととまともに向き合わなくてはならなくなったから。
 なのはとはどういう人間で、私にとってどういう存在で、なのはの死とはなんだったのか。
 なのはは、何を考えていたのか。あの、満足気な表情は、何だったのか。
 この二ヶ月間、じわじわとくすぶっていた問題を、もう一度考えなければならなかった。


「お久しぶり、シグナム」
「なんだか、結局だいぶ時間が経ってしまったな」
「今日はお誘いありがとう」
 それを見越していたのか、今日はシグナムに呼ばれてミッドの街中に来ていた。シグナムお気に入りのバーらしい。少し照明を落とした、落ち着いた雰囲気の所で、今の私にはなじむような空間だった。
 しかし本当に、第一報以来シグナムには世話になりっぱなし。ヴォルケンリッターの「将」と呼ばれるのは、そういうことなのだろう。
「互いに、やっと身が空いたようだからな」
 まったく、大変だった、と。シグナムも頭をかいた。私同様、シグナムも引き摺り出されていたのを、私は知っている。というよりは、なのはの関係者で引きずりだされなかった人なんてたぶんいない。本当に、管理外世界の高町家にまで踏み込まなかっただけマシなのではないだろうか。
「ホント、こればかりは疲れましたね」
「ああ、全くだ」
 その言葉が終わるか終わらぬかのうちに、私とシグナムとの前にグラスが置かれる。ふたりとも、ウイスキーのロック。こういうところも、好みが割と似ている。ちなみに、クロノ兄さんも同じ趣味だ。
「とりあえず、乾杯だな」
「ええ、乾杯」
 ちん、と上品な音が響く。グラスを傾けると、複雑で芳醇な香が口の中へ広がる。いいウィスキーだ。
「久しぶりに飲んだが、やはりいい」
「ですね。こんなにいいウィスキーは、初めてかもしれないです」
「そうか、なら秘蔵を出した甲斐もあったものだ」
「あ、シグナムのストックだったのですね」
「随分前にな。あまり飲まぬのだが」
 さすがというべきか、いい趣味をしている。ちょっと私には勿体ないくらいかもしれない。
「しかし、たまにこうして静かに飲みたくなる時があってな。そういう時に、ここへ来る」
「なんとなく、わかります」
 良くも悪くも、私やシグナムの周りというのは騒がしかった。例えばヴィータだったり、スバルだったり、なのはだったり。騒がしくも楽しいのが、あの場だ。
 決してそれが嫌いなわけではなかった。でも、時々、ちょっとそれに疲れてしまう時があったのは否定しない。私は、そしてたぶんシグナムも、普段低めのテンションを、彼女達に合わせて引き上げているからだろう。
「ここは落ち着きますから、そういう気分になった時には丁度いいですね」
 そういう時は、静かな所で少し息抜きしたものだ。最近は、そんな機会も少なかったけれど。
「そうだ。だから、普段はあまり人に教えんのだがな。テスタロッサは特別だ」
「ありがとうございます。でも、もう少し早く知りたかった気もします」
「ふむ、そうか。普段はどうしていたんだ?」
「一人で仕事を……」
 言って、少し虚しくなる。
「相変わらずの仕事中毒者だな。らしいといえば、らしいがな」
 何にも言い返せない。いつも忙しそうなクロノを見て、あんな仕事ばっかりで楽しいのかな、と思った過去の私はどこへ行ったのか。
「ま、そのお陰でそちらはすっかりエリートだ」
「それははやてのお陰だから」
「主はやてが、友人だというのみで昇進させるわけがなかろう」
 ふ、とシグナムの口角が上がる。
「主はやては、お前の思考の速さに期待しているのだからな」
「そんな、私は大したことないですよ」
「何を言うか。辣腕執務官の名をほしいままとし、今や情報本部のエースとしられるお前が」
 ええと、と私は苦笑い。
「全く、相変わらずだな。テスタロッサ、お前はいい加減、自信とか自負とか、そういうものを覚えた方がよいぞ」
「努力します」
 はあ、とシグナムは一つ溜息。そうは言っても、私はずっとこういう性格なのだから。
「ま、今日は説教を垂れにきたわけではない」
 と、シグナムは店員に目配せ。見ると、グラスは空。結構早い。
「折角の、お前とのサシだからな」
「ええ」
 新しいグラスが来ると、もう一回グラスを鳴らす。澄んだよい音。
「結局、奴とこうして酌み交わすことがなかったのは、残念だな」
 そんな呟くような、シグナムの声。少し空気の色が変わる。ちょっと暗い、でも私たちがしたかった話へ。
「なのはは、随分前にシャマル先生から禁酒を言い付けられてましたから」
「そういえば、六課解散の時も、奴は飲んでいなかったか」
 彼女の体は、アルコールさえも受け付けぬ体になっていたのだ。
「そうですね。あの時には既に」
 なんといっても、あのゆりかごでの戦闘が、なのはの体に与えた影響は大きかったようだ。なのははそれについて何も言わなかったけれど。きっとヴィヴィオにそのことを知られたくなかったのだ、と思う。
「では、テスタロッサも高町とサシでグラスを交わしたことはないのか?」
「いえ、一度だけ以前に」
 あの時はとても楽しかったのを覚えている。考えてみれば、あまりなのはと二人でじっくり話すことはなかったから、あの場は結構貴重だったのだ。
「そうか」
 シグナムの言葉には、少しの羨みが浮いている。もう二度と、叶わないから――。
「でも、きっとシグナムとはあまり合わないと思いますよ」
「そうか?」
「だって、なのはの頼むお酒、緩くて甘いものばっかりでしたからね。殆ど、ジュースみたいなやつ」
「ああ」
 シグナムはにやり、とする。
「そうだろうな」

 それから、ちょっとした沈黙。
 ただ、グラスの中を氷が転がる音のみが響く。でも、居心地は悪くない。シグナムとの間の沈黙は、しかしどこか温かみを感じられるように思うのだ。
 改めて、私はなのはについて考える。なのはは、子供が産めなくなるほど、酒が飲めなくなるほど、体を酷使していた。そこまでして、彼女は空の人で在り続けた。そして、こんな終わりを迎えた。
 それはなのはらしいといえば、なのはらしい。一報を受けたときから、その思いは変わらない。しかし、それはなのはが望んだものであったのか、どうか。
 もう、それ以上のものはないという程の、満足した笑み。そんな表情を死に及んで浮かべていたのは、どういうことのなのだろうか。
 それは、わからない。

「シグナム」
 だから、私は聞いてみようと思った。
「ん?」
「シグナムは、ずっと現場だったからなのはとも交流が多かったのですよね」
「まあ、な。もっとも、私も近頃は現場と言っていいか、わからぬ地位だがな」
 シグナムの地位は現在二等空佐。1221飛行隊隊長であり、空戦指揮を任される地位にある。
「でも、結局飛んでるのでしょう?」
「人が足りなければ飛ばざるをえないからな。それに、情けない部下が多いこともある」
「それは、シグナムから見ればそうでしょうね」
 私の知り合いの中で、実戦に最も強いのは誰か、と問われたら、私はシグナムだ、とたぶん答える。勿論、遠距離からの砲撃の威力・精度からいえばなのはが圧倒的だし、広域制圧ならばはやてが勝る。純粋な機動力ならば、私だってシグナムには負けない。
 でも、多種多様な状況に放り込んで、それで誰が帰ってくるかといえば、私はシグナムだと思う。まず、戦闘経験が違う。いくらなのはやはやてや私が、傑出した能力を持っていようとも、シグナムの経験とそれから来る戦闘の勘にはかなわない。そう思っている。
「それにしても、だな。テスタロッサみたいな者ばかりであれば、苦労はせんのだが」
「いやいや」
 曖昧に笑っておく。
「それで、話を戻しますけれど、最近のなのはの様子は、どんな感じだったのですか?」
「というと?」
「ええと、なのはが、一体どういうことを考えていたのかな、と思って」
 言葉の選び方に困る。間をもたせようとグラスを傾ける。空だ。
「高町が、ねぇ」
 けれども、シグナムはおおよその意味を介してくれたらしい。
「私は、高町の考えていたことが、少しわかる気がする」
「え?」
「高町はおそらく」
 シグナムも、グラスを傾ける。涼やかな音。
「ずっと死に場を探していたのではないか?」
 死に場。やっぱり、そうなのか、という感情が最初に私を襲う。
「つまり、なのはは、自分で……?」
「さて、私にはどの程度自覚があったかはわからん」
「なのはが、自分で死にたいと思って死んだかどうかはわからない、ということですか?」
「そういうことだ。だが、高町は死を受け入れたのではないかと、そう考えている」
 心のなかを吹き荒れる嵐に、私はしばし沈黙を余儀なくされる。
「テスタロッサ?」
「いえ、大丈夫です。でも、なのははいったい何故……?」
 本当は、ここで立ち止まったほうが良いのかもしれない。でも、私はもう止まれない。
「お前は、空も飛ばず魔法も使わない高町が、想像できるか?」
「魔法を、持たない……」
 ふと、考えてみる。出会って以来、なのはは常に魔法と共にあり続けた。彼女は、どこまでも魔法に根ざした生き方をしている。
 想像、できなかった。
「テスタロッサで無理ならば、想像できるものは、この世に誰もいないだろうな」
「それは……」
「そしておそらく、高町自身にもできなかったのだろう」
「……」
「しかし、高町には、次第に魔法を失い空を失う時期が近づいてきていた。その期に及んで、高町なのはという人物は、どういう選択をするか、ということだ」
 シグナムは言い切った。シグナムらしい言であるな、と思う。
「でも、」
「あいつは、不器用だったのさ。あらゆる意味でな」
「……」
「例えばテスタロッサが突如魔法を使えなくなったら、どうする?」
「え……?」
 言って、私も常に魔法と共に生きてきた人間。というよりは、魔法がなければ存在しなかった人間である。すぐには、答えが出ない。
「……法務官でも、目指します?」
 だから、だいぶ経ってから、答えを出す。その間に、シグナムは三杯目を頼んでいる。
「そうだろうな。執務官だったお前ならば、それで十分活躍できるだろう」
 執務官はなにも実力行使が本業ではない。というより、実力行使なんてわりと稀なことである。その仕事の多くは、情報の収集分析と、法的に妥当かという判断、そして上申。要するに、事務仕事がかなりの部分を占めてくる。
 そう考えて、法務官ならなんとかなる、と考えた。
「それは、どうだか」
 実際に、法務官として活躍できるとまでは、私は思わないのだけど。
「だから、お前はもう少し……。まあいい」
 少々シグナムは不機嫌な顔をした。だから、この性格はそうすぐ治るものでもないのだ。
「とにかく、だ。テスタロッサは、魔法がなくても生きていける。それは間違い無いだろう」
 有無を言わさぬ断言である。私もさすがに、口挟みはしない。
「そしてそれは主はやても同じだ」
 はやては今や中将。魔法を使う現場に出てくることは、殆ど無いだろう。
「だが、高町は違う。高町は、自らの持てる力を、魔法に使っていただろう?」
 言われて、私は頷くしかない。
 なのはの魔法の才は、比類のないものだった。それは、きっと自他共に認めるところだったのだろう。ゆえに、なのは自身も魔法を用いて身を立てることを望んだし、周りも魔法の才を必要とした。利害の一致、というものである。
「なのはは、魔法以外に生きる道を知らない……」
「ああ。幸か不幸か、高町の魔法の才は、あまりに傑出していたからな」
 その魔法の才を失った時、なのはには何が残るか。
 私からすれば、そして皆からすれば、別に魔法がなくてもなのははなのはだ。
 でも、私にはなんとなくわかる。なのはが、どう考えるかということを。
 きっとなのはは考える。もはや、自分には生きていく道がないのだ、と。
「あれで、高町は結構鋭い。そしてそのくせ、何も言わない。おそらく、自分の居場所が次第に失われつつあることもわかっていただろうし、抱え込んでいただろう」
「ですね」
「そうして思い至るところは、おそらく一つしかない」
 私は、頷く以外の術を持たない。
「だから、奴は英雄になったのだろう。高町は、どこまでも空戦魔導師で居続けた、というわけだ」
「そ、それじゃ」
 私は、迷った。これを聞いていいのかどうか。
 帰ってきた答えが、もしそうなら……。
「なのはは、自殺を……?」
「テスタロッサ」
 それまでカウンターに向かって話していたシグナムが、こちらを向く。
「お前は、そう思うのか?」
「いや……」
 彼女の心は不屈の心。自分から死ぬなんて、似合わない。似合わないけれども、今の状況を聞いたら、やはりなのはは自分で……。
「最初に言っただろう。『受け入れた』と。それは必ずしも、死を望んだ、とは違う」
「では、どういう?」
 聞くとまた、シグナムはカウンターの方を向いて、グラスを傾ける。横顔が、どことなく寂しそうだった。
「高町にはヴィヴィオもいる。おそらく自分から死ぬつもりなんて毛頭もなかったはずだ。少なくとも、意識の上ではな」
「じゃあ、なぜ」
「死に場を、見つけてしまった、のではないかと思う」
 その言は、一見さらりとしていて、しかしシグナムの心が幾分か籠っているように思える。
「それまで死ぬつもりが全くなかったとしても、誰かが死ななければならない場が訪れた。それも、死によって他が救われるような場だ。空戦魔導師の誇りを持って死ねる場だ。その場を前にした時、きっと高町は思ったに違いない。私の終わりはここなのだ、とな」
「でも」
「だから、あそこまで綺麗な、満足な笑顔だったと。私はそう思う」
 言ったシグナムの表情は、どことなく笑っていて。
 私は、言葉を失った。
 なのはの思いが、心苦しい。
 そしてなにより、そのシグナムの言葉が、重い。
 私は、わかってしまった。シグナムもまた、同じような願いを持っているのだろう、と。
 なのはは、どこまでも空戦魔導師だった。そしてシグナムも、またどこまでも騎士である。彼女には、それ以外の道はきっとない。
 なのはが空戦魔導師としての死に場を見つけたことで死を受け入れたのと同様に、きっとシグナムも騎士としての死に場を見つければ、死を受け入れる。
 シグナムは間接的に、そう言っている。私にはそう思えた。
「ねえ、シグナム」
「ん? 答えに不満か?」
「シグナムは、死ぬつもりは……?」
 故に、聞かずにはいられない。
「私は主はやてを守護する騎士だ。主はやての命もなく、死ぬはずもないだろう」
 返ってきた答えに、私は安堵しそうになる。
「だが、高町が少し羨ましいのも事実だな」
 自嘲気味に笑うシグナムに、私は軽く殴られた気分だった。



 高町なのはという空戦魔導師が、時空管理局始まって以来の天才であった、という点について、誰も疑う者はいないだろうと思う。
 なのはは、はっきりいって運動はダメな方だった。彼女自身、小学校の頃から自分の最も苦手な科目は体育だと豪語していた。中学入ってまもなくのマラソン大会で、私はおろかはやてにさえ負けていたのだから、間違いない。あれは、運動音痴という言葉がふさわしい。
 なのはの勘が優れていたか、といえばそういうわけでもなかった。場の空気を的確に把握して動く、というのは戦闘において、得てして重要になることだ。でも、なのはは決して得意ではなかった。
 なのはがよく相手の動きを見切っていたというわけでもない。相手との読み合いに関しても、彼女は平凡以上とは言えないだろう。くぐってきた修羅場が多いからこそ、平均的にできたという程度だ。
 なのはの魔法が、精緻であったかというと、そういうこともない。勿論、平均以上の魔法精度ではあったけれども、それくらいの精度の魔導師はそれほど珍しくない、という程度だ。

 なのはの天才たる理由は二つ。卓抜する空間把握能力と、圧倒的な魔力。それだけだ。
 それは、絶対的だった。一度真正面からスターライトブレイカーを受けた私だからこそ、私は彼女を絶対的なエースと言い切れる。
 戦闘技術からいけば凡人に類するなのはがとった戦術というのは、徹底的な防御と、必殺の一撃。つまり、攻撃を全て受けきって、相手が疲弊した所に高威力の砲撃魔法を叩きこむ。そういう戦術だ。
 この戦術であれば、たとえなのはが体の扱いが下手で、戦闘の勘にすぐれず、巧緻な魔法を組むことができなくても、通用する。至って平易な技術だけで、つまり魔力に物を言わせた要塞を築き、魔力に物を言わせた一撃を叩きこむという、簡単なことだけで済むのだ。
 しかも、一見大したことをしているようには見えない。だから、敵はついついなのはが墜とせるものと信じてしまう。防御に入ったなのはは、早々に敗れるだろうと、そういう錯覚を抱かせる。しかし、それが罠なのだ。なのはの防御は決して破れない。その空間把握能力による迎撃は、非常に巧みで攻撃を寄せ付けない。あまつさえ、弾幕をかいくぐってなのはの元へたどり着いたところで、莫大な魔力に築かれた鉄壁の防御魔法が待ち構えている。あと少し、が届かないのだ。そうして気づかぬ内に疲弊した敵は、ちょっとの隙を突いたなのはの砲撃を前に撃沈するのである。
 こうして、このシンプルな技を突き通すのみでありとあらゆる局面に対応しつづけてきたなのはは、天才としか言えない。下手な技量に囚われぬなのはの戦術は、殆ど覆す目がないのだから。

 しかしそれは、同時になのはの寿命を削り続けてもいた。
 こうした戦い方の結果、なのはは魔力攻撃を受けることが多くなる。それを耐えて耐えて、止めに砲撃を打ち込むのだから当然だ。しかし、魔力攻撃をバリアで受ければ、当然なのは自身へも負担がかかる。それに加えて、なのはは一撃必殺の砲撃型であるから、砲撃を撃った際の反動もまた大きい。それもなのはの体へと負担をかけ続けていることになるのだ。
 だから、なのはが空戦魔導師を続けていれば、どんどん体が壊れていくのは、必然だったと言える。

 もしかすると、彼女が魔法を使うと決めたその時から、このような終わりが決まっていたのではないか、と。
 そうとすら、思えた。



「やあ、久しぶりだね、フェイト」
 とにかく、私には一つわかっていることがあった。
「久しぶり、という程でもない気がするけどね」
 今の状態で一人になっていても、あまり良いことにはならない、ということ。
「でも、この間はあまり君と話す機会はなかったからね」
 互いに忙しくて、とユーノは柔らかく笑った。

「それで、ヴィヴィオはどうしてる?」
 最近あまり見ないから、ちょっと心配してるんだ、とユーノはコーヒーを煎れながら言う。
「一見、普通に学校に行ってる。流石にあまり元気はないけど」
「そう。気丈だね」
「誰かに似て、抱え込んじゃってるのかもしれない」
 その言葉に、ユーノはくすりと笑う。
「確かにヴィヴィオの周りにはそういう大人ばかりだからね。全く、困ったものだよ」
「そうかな?」
 私の一言に、ユーノは曖昧な笑顔を返してきた。答えになっていないが、追求はしないでおくことにする。下手な手は薮蛇な気がするから。
「で、ヴィヴィオは結局どうすることにしたの?」
「私が保護責任者を継ぐことになったよ。それが一番だろう、って」
「そうか、それはよかった」
「ただ、名字は高町のままがいいみたい」
「そうだろうね。ヴィヴィオにとって、高町という名字こそが、なのはからの一番の贈り物だろうから」
 ユーノは、言いながら私にコーヒーカップを差し出す。受け取ると、良い香が流れてくる。
「そうだね」
 一口含むと、複雑な味が口の中に広がる。おいしい。
「ん?」
 ふと、ユーノの仕事机に置いてある書類に気が付いた。表になのはの名がある。ええと、高町なのはの顕彰に関わる……?
「ユーノ、あれ、なあに?」
「あ」
 見られちゃったか、という表情を浮かべるユーノ。見られたくないなら、しまえばいいのに。表情を見るに、どうやらしまい忘れていたようだ。あまりユーノらしくない。
 やはりユーノも、通常運転には戻れていないようだ。
「えと、あれは、簡単に言えば、英雄であるなのはをどう処遇すればいいか、って。そういう報告書」
「英雄の処遇?」
「うん。時空管理局は本格的になのはを英雄として顕彰しようとしている。その上で、これまで他の英雄を、どうやって処遇したか、という先例が欲しいんだって」
 英雄・高町なのは。そりゃ、彼女の活動はもはや英雄に匹敵することくらいわかる。でも、そうやって祭り上げられれば祭り上げられる程、私にはなのはがなのはで無くなっていく気もする。
「ねえ、ユーノ」
「なんだい」
「なのはは、英雄なのかな?」
 自然に、問いが出ていた。
「そうだね。なのはは英雄だよ」
 即答。
「君もそう思ってるんじゃないのかい? 昇進を拒否してまで現場に残り続け、あちこちで活躍し、民間人を守って墜ちた若い女性空戦魔導師。これ以上絵になるものは、そうそうないよ」
 そりゃそうだ。それは誰もが認めることだろう。しかし、聞きたいのはそういうことではない。
「そうだけど……。なのはは、英雄にならなきゃいけなかったのかな?」
「英雄にならなきゃいけなかったか、ね」
 ユーノは少し考え込む。
「僕はね、フェイト」
 口を開いたのは、僅かの後だった。
「君にだって、英雄の素質は十分にあると思うんだ」
「え」
「だって、君はなのはに対抗できるだけの力を持ってるじゃないか」
「そうだけど……」
 なのはとの模擬戦は、たしかに勝率五割弱だったはず。でも、私が英雄なんて、柄じゃない。せいぜい、英雄の前座がお似合いだ。
「なのはにしてもフェイトにしても、やっぱり魔導師としての才能は超一級。それは、誰もが認める事実だと思うよ」
「そんなもんかな」
「少なくとも、僕のちょっとしたプライドが粉々になる程度には」
「ごめん」
「いやいや」
 ユーノが珍しく、ちょっと慌てた。
「別に謝ることじゃないよ。そもそも、僕は魔導師として大成したいと思っていたわけじゃないから」
 自分の技量くらい、わかっているんだ、とユーノは言う。
「単純に、すごい勢いで成長するなぁ、ってそう思ったって話だよ」
「そっか」
「逆に、僕としては嬉しいんだ。見立て通り、フェイトやなのはが、本当に素晴らしい魔導師になったからね。僕の目が間違ってなかった、ってことだから」
 ユーノは、はじめて少し笑った。
「だけど、フェイトが必ず英雄になるか、と言えばそれは話が別だと思うんだ」
 しかしユーノはその笑いを早々に納める。そして、眼鏡をすこし上げた。
「どういうこと?」
「英雄というのは、資質だけでなく、その生き様が作り上げる、ってことだよ」
 生き様。わかるようで、わからない。
「つまりね、英雄になるには「どのように生きたか」だけじゃなくて、「どのように死んだか」っていうのも、きっと大切だと思うんだ」
「どのように、死んだか……」
「だって、そうだろう。どんなに優秀な人間で、いろいろなことを成し遂げたとしても、死に際して乱せば、英雄にはなれない」
 ユーノの言葉は、歴史を見続けてきた知識を背景にした言葉なのだろう。説得力がある。
「さらにいえば、その死に際してより大きな印象を与えることだって、大切。やっぱり、若くして死ぬ、というのは最も手早く人の印象の中に位置づくことができる。だから、英雄と言われると、得てして若いものが思い付くんだ」
「その点でも、なのはは完璧だったんだね」
「そうだよ。あれ以上のものはない、という程ね」
 ユーノの瞳は、どちらを向いているのか。
「フェイトも似たような状況だと思うけれどね」
「うまく死ねば、英雄になる?」
「うん」
 ユーノは事もなげに言う。
「今死ねば、それだけで英雄になれるよ。なのはとセットでね。物語は、完成する」
 死ぬ。
 そんな選択肢があった。
 思って首を振る。例え様のない、魅力がその言葉にはあった。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
 私の表情に何か感づいたのか。
「フェイト、君は」
 しかし、それ以上、ユーノは何も言わなかった。ユーノの渋い表情は、きっと先のを失言を悔いていて、かつ私の考えを見通した、ということなのだと思う。でも、ユーノもきっと、同じようなことを考えた。だから、言葉がない。きっとそうなのだろう、と勝手に推測した。
 またため息をひとつついて、ユーノは眼鏡を外す。
「先の問いの答えに戻るとね、フェイト」
 ひとまず、なのはの話に戻るようであった。私も一息つく。私の話は、またにしたい。
「僕は、なのはは英雄になるべくしてなったと思ってる」
 ユーノの答えは、私のおおよその認識と、大きくは変わらない。
「たまたま僕がジュエルシードを落としたのが海鳴で、たまたま僕がなのはに会ってレイジングハートを手渡し、たまたまフェイトと会って空戦技術を磨く。そしてたまたま、親友になる」
 そして、たまたま闇の書も海鳴に流れ着き、たまたま闇の書の主が同年代の少女で、たまたまその主と親しくなる。たまたま闇の書の問題を解決し、たまたま騎士とも良い関係を築く。
「フェイト、君は運命というものを信じるかい?」
「私は信じないよ。こんな名前だからこそ」
 ちょっとした強がり。
「フェイトはそうだよね。僕もそう思ってた」
 ユーノはため息ひとつ。
「でも、今回のことを見たら、信じざるを得ないかなって、そんな気がしたんだ。こんな偶然って、あると思う?」
「いや」
 思えなかった。
「それに、なのはが本当に、英雄になるため突き進んだなんて、そんな風にも思わないよね」
「それが、わからない」
 そのように思いたくはなかったけれど、思わざるをえないことも否定できない。なにせ、なのはに他の道はなかったのだから。
「僕は、なのはは英雄に"なってしまった"んだと思う」
 ユーノの顔が歪む。
「だから、僕はなのはに謝らないといけない。僕がジュエルシードを掘り出さなければ。僕がなのはに協力を頼まなければ。なのはは、こんなことに巻き込まれなかったんだ、って」
「それは……」
 私と同じ思い。たぶん、私とユーノとが、ずっと抱えなければいけない、重し。
「ああ、逃げなのはわかってるんだ。運命だったから仕方ないってそう思えば、少しは楽になる。それだけなんだよ」
 ユーノの目に涙が浮かぶ。いつも冷静な彼の涙を見るのは、始めてかもしれない。
「ねえ」
 ゆえにひとつだけ、私はユーノに聞いてみる。
「なのはは、あれで幸せだったのかな」
 ユーノは、こちらに向き直る。頬には、水滴が滴っている。笑っていた。
「わからない。なのはの思いなんて、わからないんだ」
 君はどう思うんだい、と翠の瞳が問うている。
 わかるはずがなかった。


 ユーノは、こんな私も英雄になれるといった。
 どうして気付かなかったのだろう。もし私が今死ねば、如何なる死因であったとしても、「親友のフェイトもすぐに後を追った」という伝説がなのはに付加される。
 そんな流れもよいのではないかと、そう思える。きっとそうなれば、なのはを語る際に私の名も共に残る。その結果として私は、なのはと共にいられる。なのはを一人ぼっちにしないで済むのだ。せめてもの償い。なのはを助け続けられれば。

 でも、そうして死ぬことがただの現実逃避でしかないのもまた事実。私が死んでなのはの隣に並んでも、それは本物のなのはではない。本物のなのはは、もう二度と帰ってはこないのだ。

 それにヴィヴィオのこともある。私が保護者を引き継いだ以上、私が育てる義務がある。なにより、10歳で立て続け二人の親代わりを失うのは、さすがにかわいそうだ。ヴィヴィオを蔑ろにするのは、なのはの願いに反するだろう。

 だから、私は自分から死のうとまでは思わなかった。積極的には、死なない。
 でも、生きる気力が薄れつつあるのも事実。
 生きるには、荷が重い。

 シグナムの言っていた話がなんとなくわかるな、と思った。
 死ぬつもりはない。でも、死地があるならきっと飛び込むし、それに満足して逝くだろう。

 なのはも、きっとこんな気持ちだったのだろう。そう思うと、ますます胸が苦しくなる。
 なのはは、こんな重い気持ちをずっと抱えてきた、ということだから。ずっと、こんな苦しい思いをしていたということだから。


「フェイトちゃん、こんばんは」
「こんばんは。そちらの調子はどう?」
 はやてが選んだのは、どちらかというと大衆居酒屋に近いお店。あるいは、定食屋といってもいいかもしれない。すでに将官に奉職しているはやてには少々似合わないが、関西弁を操るはやてには、ちょうどいい。そんな店。
「どうもこうもあらへんよ。こないだまで休んどったツケで、書類ぎょうさんあってしんどいわぁ」
 眉をハの字にして笑うはやて。気持ち前より化粧が濃いのは、きっといろいろなものをごまかしているからなのだろう。私だって、だいぶ時間を掛けて化粧をするようになった。
「そっか、わざわざ呼んでごめんね」
「かまへんよー。こんなん、気ぃ抜かなやってられへんもん」
 関西弁も、少し元気がない気がした。
「偉くなると大変だね」
「そらそうや。と言うても、私は偉うなりたくて偉うなっとるから、あまり文句言うたらあかんかな」
「ちゃんと仕事すれば、少々文句いっても大丈夫だと思うよ」
「そっかな」
「うん」
 折しも瓶が運ばれてくる。ささ、とグラスについで、乾杯。心地いい音が鳴る。
「くーっ。やっぱり酒は日本酒やね」
 結構派手な飲みっぷり。あの体が弱かったはやては何処へやら。今や、私の周りで最も酒呑みだ。
「はやてがこっちに持ち込んだ甲斐もあったね」
「そうや! ミッドでも呑めるようなって、ホンマありがたいわぁ」
 空になったグラスに注いであげると、さらにそれも半分くらいはやての喉に消えていった。うわばみである。
「それでも、やっぱり向こうの方がおいしいけどね」
「こっちのは魔法とか、だいぶズルしとるから、しゃあないと思うんよ。ズルせんと、ミッドではでけへんしね。これ」
「だね」
「帰ったらええの買ってこんとね」
「そうだね」
 私もグラスにちょっと口を付ける。飲み干しはしない。私もかなり呑める方ではあるけれども、はやてに引きずられると潰される。
 ふう、と一息。
「やっぱ、フェイトちゃんも疲れとるね」
「そう?」
「雰囲気がなー。私も、人んこと言えへんけど」
 普段通り、を心掛けてはいたのだけれど。
「しゃあないけどね。あれからまだ二月やもん」
「そっか、まだ二月しか経ってないんだね」
 あの一報は、私には凄く遠い日のことに思えて、まだ二月というのがあまり信じられない。
「そっか、フェイトちゃんは"もう"なんやね」
「はやては、"まだ"なの?」
 聞いてみると、はやては静かに頷いた。
「はよ時間経たんかな、ていつも思うとるんよ。時間経ったら、少しは楽になるやろ、って」
 楽に。悲しみも癒えて懐かしさになる。のだろうか。
「フェイトちゃんは、大丈夫なん? なのはが、あんな」
 沈黙。はやての顔が、少し強張っている。私は、どう返せばよいか、少し思案した。自分の心の状態が、あまり自分にもわかっていない。ひとまず、グラスに残った酒を飲み干す。はやてが、注いでくれる。
「大丈夫、って言ったら、きっと嘘になるんじゃないかな、って思う」
 はやてが瓶を置くのを待って、一言告げた。
「ほら、私、今ヴィヴィオとなのはの家に暮らしてるでしょ。だから、なのはがドアを開けて"ただいま"って帰ってくる気がするの。朝起きると、隣になのはが寝てるんじゃないかって、期待しちゃうんだ」
「フェイトちゃん……」
「でもね、私はそんなに酷く悲しんでるわけじゃないよ。だって、私が悲しんでたら、示しがつかないでしょ。ヴィヴィオだっているんだし」
「でも、それじゃフェイトちゃん、大変やないの?」
「もう慣れたよ。私」
 顔を上げると、はやてが殆ど泣きそうな顔をしている。私もそうなのかもしれないな、と思った。
「なのはちゃんは」
 はやてが、またグラスの日本酒を煽った。
「なのはちゃんは酷い。私やフェイトちゃんを置いて一人で勝手に逝ってしもて」
「……」
「なあ、フェイトちゃん」
「ん?」
「なのはちゃんは、結局私らのことなんてどうでもよかったんかな。私らなんて、なのはちゃんにとっては」
「それはないと、思うよ」
 私は、シグナムの言を思い返す。
「でも、なら」
「シグナムが言ってた。普段そんなつもりがなくても、いざ"そういう場"に置かれた時、喜んで受け入れるのはよくわかる、って」
「そやけど」
 はやては手酌で酒をつぐ。ちょっと早過ぎやしないか。
「そやけど、結局、なのはちゃんが私らを置いてったのは変わらへん。なのはちゃんは、私らんこと」
「はやて」
 私の声が冷えていることに、私自身驚いた。
「それ以上は、なのはに対する侮辱。なのはは、自殺したんじゃない」
 自殺したんじゃない。それが誰に対する言葉かは、明白だろうと思う。
「なにより、なのはにはヴィヴィオがいる。誰よりヴィヴィオを可愛がってたのが、なのはだっていうのは、誰もが認めるところでしょ」
 はやては、静かにこちらを見ている。目が赤いのは、はたして酒のためだろうか。
「そうは言うても、なのはちゃんはヴィヴィオを置いてったんは事実や。私も、何もなのはちゃんが全く気力を失って自ら死を選んだとは思うておらへん。でもな、肝心なところで"折れた"んやとは思うとる」
「不屈のなのはが、折れるはずないよ」
「死に満足するんは、折れたとしか言わへんよ」
 返す言葉が、見つからなかった。
「な、フェイトちゃん」
「なに」
 はやての声は、予想以上に穏やかで、私は却って驚いた。この期に及んで、冷静さを取り戻している。
「私な、まさかこんな年まで生きられるなんて、思うてへんかった」
「え?」
「まだ小さい頃に、両親が死んでしもて。そこからは一人暮らしや。しかも、次第に足が動かんようになって、小学校二年の頃には車椅子になってもうた」
 はやての育ちは凄絶だ。聞くたびにそう思う。
「その状況で、長生き出来るとはとても思わへん。きっと、15くらいまでには、独り、部屋の中冷たくなっとるんやろな、って、ずっと思っとった」
「15……」
 たぶん、私やなのはが、はやてを見つけることができなければ。実際にそうなっていただろう。そして、孤独死の少女として適宜処理されて、おしまい。
「でも、リインが助けてくれた。私はそう考えとる。リインがヴォルケンリッターの皆をくれて、命をくれたんや、って」
 リインフォース。主はやてのために消えていった彼女は、見方によれば、はやての言うように、はやてに命を授けた、ともとれる。
「そやから、あの時からの15年は、おまけで生きてるみたいなもんなんよ、私には」
「おまけって」
「リインがくれたロスタイム。とても粗末にできんのよ」
 だから、彼女はこんなに生き急ぐだろう。はやてもまた、壮絶な人間なのだ。
「そやから、私はどんな状況になっても、死ぬつもりはあらへん。死ぬんは、やることやり切ったときや。何を失うても、命だけは守りきる。そう決めたんよ」
 はやての決意は、ずっしりと重い。そして危うい。それをわかっていて、でも私はそれに何かを言う資格はないだろう、と思った。
「その気持ち、フェイトちゃんならわかるやろ?」
「……うん」
 そう、私も、はやてと同じような思いを、持っている。

 私は、アリシア・テスタロッサのクローンである。もしアリシアが平穏無事な暮らしをしていれば、私がこうして生まれてくることはなかっただろう。つまり私の命は、アリシアの命の犠牲の上にある。
 そして私の母は、プレシア・テスタロッサである。プレシア母さんは、アリシアを生き返らせるために奮闘し、ついに虚数空間の塵となってしまった。私は、プレシア母さんの犠牲を背にして、ここにいる。
 結局、私もまた、プレシアとアリシアという二人の命を奪い取る形で、生きているのだ。
 だから私は、生きている。
 命を粗末にすることは、とてもできないのだ。

「要するに、はやてはこう言いたいのかな」
 ここまで来て、はやての言いたいことがわからない私ではない。
「なのはには、そういう重しがなかった。だから、折れたって」
「……」
 はやては何も言わない。言わないが、表情がそうだと述べていた。
 確かに、なのはは私達三人の中では、きっと一番に幸せな境遇だったと思う。
 なのはだって、生まれてすぐ親御さんが大怪我をして、長く一人暮らしを強いられたという。でも、はやてのように両親が亡くなったわけでもないし、私のようにそもそも家庭が成り立っていなかったわけじゃない。
「だから、死んだんだ、って」
「たぶんな」
 はやての目が、少し光っている。
「なのはちゃんはな、幸せやった。幸せやったから、きっと死んだら何もならんって、わからんかったや」
「何にも、ならない」
「そやろ。死んだら、それで終わりや。何も残らへん。生きておってこそ、人は意味があるんや。どんな死に方しても、死んだらそれまで。そう思わへんか?」
 幼時に、常に死と隣り合わせであり続けたはやてだからこその、言葉なのだと思う。
「Denn du bist Erde und sollst zu Erde werden.」
「?」
 ベルカ語? と思ったが、少し違う気もした。
「『旧約聖書』の一節や。"汝は塵なれば塵に皈るべきなり"って」
 『旧約聖書』、たしか地球で信仰されている宗教の聖典だったはずだ。なんとか私は、中学のころの社会科の知識を掘り返す。そういった言葉がすぐ出てくるのは、読書家であるはやてらしかった。
「所詮、私らは塵なんよ。そやから、生きてな意味ない。死んだらそれまでや」
 私は、言葉を返さなかった。そうではない、と言い返すのは簡単だ。「死ぬまで誰も幸福ではない」という言葉がある、と言い募るのは簡単だ。
 でも、きっとそれは意味が無い。なにより、はやてのこれまでの生き方の否定にしかならない、そう思う。
「せやから、降りよ言うたのに、なのはちゃんは最後まで聞きよらへんかった」
「なのはにとって、空こそが生きがいだったから……」
「それが間違いなんよ」
 はやての語気が強まって、少し驚いた。あまりはやてらしくない、声。
「なのはちゃんはなのはちゃんや。たとい、飛べんようになっても、魔法使えんでも、なのはちゃんは私らのなのはちゃんや。そやないか?」
「そりゃそうだよ。どうなったって、変わらない」
「それをな、なのはちゃんはわからんかったんよ。そやから、あんな簡単に死んでもうた」
 ついに、はやての瞳から、一筋の水滴が流れ落ちた。
「ほんと、なのはちゃんは、バカな娘や」


 はやては、多くのものを失って生きている。両親を失い、移動の自由を失い、平凡な学校生活を失い、リインフォースを失い。
 私も、姉を失い、母を失い、生きてきた。
 だからこそ。
 私もはやても、生きなければいけないことがわかっている。たとえ失っても、なんとかして明日を超えていかなければならないことを、知っている。

 だが、きっとなのはは知らなかったのだろう。失う、ということを。
 彼女が失いそうになったことは幾度もある。でもその度に、なのははその不屈の心で取り戻し続けた。それがなのはの英雄となりえる所以であり、なのはたる所以なのだと思う。
 でも、その結果。なのはは、きっと失うということを知らなかった。幸福な普通の少女だった。
 その彼女が、自らの生きがいをまるごと失うと知った時、耐えられなかったのじゃないか。
 そんなはやての予測は、きっと当たっているのだろう。
 はやてが死に場を探していた、というシグナムの言も、そう考えると筋が通る。

 なのははきっと、他の生き方を見つけるということさえ考えに及ばなかったのだろう。
 シグナムの言うように、魔法を失った自分がその後どうするか、そこに考えが及ばなかったのだろう。
 そんな、不器用さは、なのはらしいと、思った。



 毎日、家事をこなすだけの生活は、私にとって初経験。仕事がないことに違和感を覚える、とはやてに言ったら、重病人扱いされてしまった。そうはいっても、10歳の頃から仕事をしてきてるのだから、仕方ないと思う。
 クロノ兄さんに似過ぎた気がして、少し嫌だけれど。
 でも、やはりやることがないとつい良からぬ方へ思考が回る。だから、仕事があればよい、と思うのも事実だ。
「こんにちは」
 だから、こうして来客があると、幾分か楽になっていい。
「こんにちは、ティア」
「お邪魔しますね」
「どうぞ上がって。といっても、本当は私の家ではないけどね」

「はい、紅茶」
「すみません。ありがとうございます」
 ティアは少し縮こまって、そこに座っている。
「久しぶりだね、こうして話すのは」
「そうですね。フェイトさんもすっかり偉くなってしまいましたから」
 そう言って、たがいに紅茶のカップを傾ける。
「……微妙」
 やはり、珈琲党は珈琲で推すべきだったようだ。お茶っ葉は、喫茶店の娘らしくいいものなのだけれど。
「そうですか?」
 ティアはそこまで味に煩い人ではないらしい。少し助かった。
「ちょっと渋味が強すぎるな、って」
「はあ」
 私の言葉に、もう一度カップへ口を付けるティア。でも、首を傾げただけだった。
「私がそう思っただけだから、あんまり気にしないで」
「あ、はい」
 そのまま考え込む態勢に入りつつあったティアをこちら側へと引き戻す。
 でも、このやり取りの御蔭で、すこし堅かったティアも解れたよう。その点では、私の微妙な紅茶も少しは役に立ったと言えるだろうか。
「それで、今日はどうしたの?」
「あ、いや、特に用事があったわけじゃないんですよ」
 そう言いながらも、ティアは紙袋を机に出した。
「この間、スバルと少し遠出したので、そのお土産です」
 袋を見るに、お菓子らしい。
「わざわざありがとう。ヴィヴィオも喜ぶと思う」
「いや、大したものじゃないですから」
「開けていい?」
 折角だから、なのはにも分けてあげようと、そう思った。
「どうぞ」
 丁寧に包装を剥がして箱を開けると、クッキーが個包装されて並んでいる。私はいくつかを手に取って、カウンターにあるなのはの写真の前に置いた。
「なのはも、こういうの好きだったからね」
「あ……、ありがとうございます」
 少ししんみりした空気。
「ところで、今日はスバルと一緒じゃないんだね?」
 そのついでに聞いてみる。
「ええ。まだ来れない、って」
「そっか。スバル、なのはのことが本当に好きだったもんね」
 スバルは、なのはに憧れて管理局員になったと言い切る程、なのはを尊敬していた。それだけに、なのはの死はショックだったのだろう。しばらくは、抜け殻と化していたらしい。
「今では一見普通に生活してるんですけどね」
「なら、まずはよかったね」
「はい。ただ、まだなのはさんの家には行きたくないと」
「それは仕方ないよ。大丈夫、スバルは強い子だから」
「ええ」
 ティアは頷く。その姿はスバルに全幅の信頼を置いていることを伺わせた。この二人も本当にいい関係を築けている。私となのはとの間には、ここまでの信頼関係を築けていたのだろうか。
「そういうティアは、大丈夫なの?」
 だから、聞いてみる。今のティアは、スバルのために少々無理してでも立っているだろうから。
「そうですね」
 ティアは、カップを傾けてから、言う。
「私は、折り合いがついてしまったみたいです」
「折り合い?」
「はい。なのはさんなら、それほど驚くべきことでもないな、って」
 ティアの表情は、淋しそうだった。
「なのはさんらしいと思いませんか? フェイトさんは」
 私は無言で頷く。私の心の奥に刺さっているのも、つまるところなのはの死があまりになのはらしいからだ。
「私は、なのはさんの究極の目標がここだったんじゃないかとさえ、思うんです」
「目標?」
「だってなのはさんは、これだけ多くの人に夢を授けて逝ったんですよ」
 夢。なのはは、夢を多くの人に与えた。それは間違いない。だから、スバルは、管理局員にまでなったのだ。他にもそんな局員を、私は幾人か知っている。
「だから、なのはさんは悔いることなく逝けたんじゃないか、ってそう思うんです。だから、私はあんまり悲しむ気にならなくて」
 むしろ、笑って送り出そうと、そういった。それは、私のわからない話ではない。むしろ、私もそう思っているからこそ、狂わないでいられる。
「ティアもそう思うんだね」
「はい」
 答えは、しっかりしていた。
「でも、それで割り切れちゃうんだ」
「……はい。私も、執務官ですから」
 ティアを執務官補佐に任じた時、私が最初に教えたのは"理性で感情を押さえ込め"ということ。
 執務官というのは、常に後手に回る。私たちが派遣された時には大概手遅れになっていて、凄惨な場を見ることも多い。それに、任務柄、自ら人を手に掛けることもある。私も、何人殺したのかなんて、数えるのを止めてしまった。
「執務官、因果な職だよ」
 だから、執務官として生き残るには、自らの感情を抑え、理性で行動することが大切になる。それは、私があまりうまくないからこそ教えたものではあるのだけれども、ティアはきちんと学んでしまったようだ。
「でも、好きでやってるものですから」
「そうだね」
 つくづく因果だ、と思った。
「結局、ティアにとってなのはって、どんな人だったの?」
 そんな因果な職業同士だからこそ、もう少し聞いてみようと思う。
「そうですね……」
 ティアの答えを、私は微妙な紅茶で喉を潤しつつ待つ。
「やっぱり、私にとっての憧れだったんだと思います。才能に恵まれていましたし、なにより何があってもくじけることのない、その不屈の心が素晴らしくて」
「憧れね」
「私みたいな凡人にとっては、なのはさんみたいな人は眩しかったんです」
 彼女の凡人意識というのもまた、根深いものだ。人を扱うという点からすれば、はやてと並んで秀でたものがあると思うのだけれど。
「ひとつ聞いていいかな?」
「なんですか?」
「なのはは本当に不屈だったのかな」
「といいますと?」
「あのなのはの顔を見たよね。これまで見たこともないような、穏やかな顔」
「……はい」
「あの顔を見たら、私、なのはが死を受け入れたようにしか見えないんだ。どう思う?」
 私の問いに、ティアは黙り込んだ。予想外の事を聞かれた、という感じ。
「なのはさんは」
 と口を開いたのは、私が自分のカップに紅茶をつぎ終わった時であった。
「確かに、死を受け入れたんだ、と思います」
「もうそれでいいや、って思ったってこっかな」
「少し語弊のあるような言い方をすればそうなります。なのはさんは、これでやりきった、と思ったには違いないですから」
「それじゃ」
「でも、それはなのはさんが折れたんではないと思います」
 私の言葉に被せるように、ティアは言いきった。
「だって、なのはさんは実際に夢を叶えたんだ、って。そう思いますから」
「それで、諦めちゃったんじゃないのかな」
「それは、諦めた、とは言わないんだと思います」
 ティアの言葉には、力が籠っている。
「なのはさんは、自らのやるべきことをやり通して、かつ自らの夢を叶えたんですよ。それは、むしろ最期まで不屈でありつづけた。そういうことじゃないかって」
「そうかも、しれないね」
 ティアの言葉には説得力があった。ティアの言うように、なのはは夢を叶えたのだとしたら。
「でも、つまりそれは、やはり私たちはなのはを引き止めておくだけの重りにはならなかったってことじゃないの?」
「そりゃ、なりませんよ」
 ティアは、そう言って笑う。
「だって、フェイトさんだってそうでしょう? 皆のために、世の中のために働いてる。だから、皆のために飛ぶことはあっても、皆のために降りることはないんじゃないですか」
 うまく返せない。あまり考えたことはなかった。
「でもそれが、人を蔑ろにしていたというわけではない、と思います」
「つまり?」
「むしろ、なのはさんは、皆に優し過ぎたんですよ。きっと、どこまでも私たちのことを考えていたんです」
「それなら、こんな風に私たちを置いていくはずは」
「いや、それは違うと思うんです」
「どうして?」
「なのはさんは、とにかく皆を大切にしていました。だから、いつまでも現場で、危険な場で働きつづけたんですよ。常に全力全開で頑張ってたんですよ。皆を守るために」
 それは自身がボロボロになっても変わらなかった。そういうことなのだろう。
「だから、私たちはなのはさんを飛ばしこそすれ、重りにはなりえなかったわけです。私は、そうじゃないかって思ってます」
「そっか」
「だから、なのはさんが私たちを置き去りにした、というのは違うんだと思うんです。なのはさんのあの笑顔も、皆を守れてよかった、ってことじゃないかなって」
 ティアの言には、なのはへの尊敬が強く染み込んでいるように思えた。それだけでも、ティアのいう「なのはは夢を授けた」という意味がわかる気がした。
「じゃ、どうすればよかったと思う?」
 ならば、私はもはや何も言うべき言葉を持たないのかもしれなかった。それでも、問わずにいられなかったのだ。
「どうでしょうか」
 対してティアは、考え込んだ。しばしの沈黙。
「きっと、なのはさんがもっと冷淡な人ならば、よかったとは思いますよ」
「"皆"の範囲ってこと?」
「はい。例えば、ヴィヴィオとフェイトさんのため"だけ"であれば、降りる可能性は充分にあったと思います」
「でも、それはなのはじゃない気もするね」
 言うと、ティアは苦笑した。寂しそうな苦笑だった。
「だから、あれが「なのはさんらしい」ということになるんですよ」
 要するに、私にはできることなんてなかったのだ。



 シグナムは、なのははもはや、なのは自身が生きる支えを失っていたのだ、といった。
 ユーノは、英雄になるべく生き、なるべく死んだ、といった。
 はやては、結局私たちのことを見捨てて死んだ、といった。
 ティアは、なのはが優しかったから死んだ、といった。

 どれが本当なのだろう。
 どれが本当のなのはなのだろうか。

 しばし考えて、すべてなのはなのだと、そう思い至った。

 きっと、どれも嘘でどれも本当なのではないかな、とそう思ったのだ。
 まるで禅問答みたいな話ではあるけれども、人とはそういうものではないかな、とそう思う。

 私が「なのはとは」と問われる度に感じていた、言いようのない違和感は、結局ここに発しているのかもしれない。
 どんなに言葉をうまく使ったところで、どうしたって漏れてしまうことがある。形通りの"英雄"に収めようとしたら、なおさらだ。

 なら、なのはは何故死んだのか。
 なのはとは、一体なんだろうか。

 ひとつ、私は納得できる答えを見つけたんじゃないだろうか、とそう思う。
 なのはは、つまりなのはなのだ。

 詐欺みたいな答えだ。でも、逃げたつもりはない。
 ようするに、"なのは"としか言い表しようのないものこそなのはであるのだろう、と。人によって様々な見方ができて、そのすべてをひっくるめたのがなのはではないか、と。

 ただ、一つだけ断言するなら。
 なのはは、死ぬまでなのはらしく生きた。それは、言えると思う。



「だいぶ久しぶりだな。元気にしてたか?」
「久しぶり。そうだね、まあ、それなりに元気なんじゃないかな」
 千客万来とまでは言わないが、客が多いと言えるとは思う。なのはの人気のなすところだろう。
「そっか、そりゃよかった」
 あるいは、少し気を使われているのかもしれないけれど。
「そういうヴィータはどうなの?」
 目の前に座る紅髪の少女は、らしくなく陰のある笑顔をうかべた。
「まあな」
 ヴィータは、ヴォルケンリッターの中でも、とりわけなのはと仲がよかった。なにより、15年前のなのは墜落を間近に見て以来、なのはを守ると誓っていたはず。
「なのはが死んじまったってのが、まだあんまり信じられなくてな」
「そうだね」
 今この瞬間にも、そこの扉を開けてなのはが帰ってくるのではないか。そんな気がする。そういう思いは私も全く変わらない。
「でもずっと引きずるわけにもいかねぇかんな」
「だから来たの?」
「ここに来りゃ、少しは現実を見られるんじゃねぇかって思ったんだよ」
「そっか」
 ヴィータも苦しんでいるようだった。それでも一見普通のように見えるのは、ヴォルケンリッターの意地だろうか。どちらにせよ、私にはできない類のこと。
「なのははホントに、死んじまったんだな」
「うん。なのはは墜ちた。もう、飛ばない」
「あいつらしいが、詰まらなくなるな」
「詰まらない?」
「ああ。もうあいつをきっちり叩き落とすこともできねぇんだな、って」
 ヴィータはそう言って笑った。半分泣いているような笑い声。
「ヴィータ……」
 私はちょっと心配になる人のことを言えた義理でもないが、ヴィータまで向こうへ行こうとしているような、そんな気がしたのだ。
「ねえ、ヴィータ」
「どうした?」
「ヴィータは、なのはのこと、羨ましく思う?」
「ああ。勿論じゃねぇか」
 ヴィータはあっさり言い放った。少し私は恐ろしくなる。あんなことを言うのはシグナムで充分。そう思う。
「なにせ、あいつは人間だったからな」
 それだけに、事もなげなヴィータの言葉に、私はホッとする。
「あんなちんまい奴だったのがさ、気付いたらすっかりお姉さんになっちまいあがって。それどころか、最近じゃすっかり母親だ。いやはや、月日ってのは恐ろしい」
「最初に出会ってから、もう17年だものね」
「おう。出会いは最悪だったけどな」
 ヴィータとの初対面は、ヴィータがなのはを倒しかかっていたタイミングだった。レイジングハートも壊されかけていたし、本当に最悪な出会いだ。
「そうだね。あの時は、まさかこうして二人お茶を啜るようになるとは思わなかったよ」
「私も思わねーよ。」
 ヴィータは、窓の外をみやる。
「まさか、こうなるとも思わなかったな」
「そう、だね」
「いや」
 しかし、ヴィータは首を振る。
「最初から、わかってたのかもしれねぇ」
「どういうこと?」
「あいつは、打ち倒しても打ち倒しても、こっちに向かってきた。それこそ、レイジングハートをぶち壊さねぇ限りな」
「そりゃ、なのはだもの」
「ああ。そうだが、戦略的には間違ってる。もし未知の敵が現れたら、かつ自分より強かったら、さっさと逃げるべきであって、正面から踏み込んでくのは下策だ」
 ヴィータは少し渋い顔をする。
「確かにそうだけど、なのはじゃヴィータから逃げられないと思うよ」
「まあ、今だって、なのは相手なら逃げられねぇ自信はある。だが、そういう問題じゃねぇ。問題は逃げようとさえせず、正面から挑んでくるってとこだ」
「なのはは、ありとあらゆる問題を解決できたからね」
「ああ、だから奴は英雄とか言われて、銅像まで作られることになったんだろ」
「銅像?」
「テスタロッサは初耳か? 管理局の英雄として、なのはの銅像が作られるんだよ。クラナガンの中央駅前だってさ」
 いよいよ、なのはは伝説になっていく。
「ま、それはともかくだ。ああやって正面から突っ込むたびにボロボロになるのをわかっていて、だがなのははそれをやり続けた。それで解決できるって信じてな」
「そうして実際に解決しちゃうものね」
「だが、いつかそれでは墜ちるってのは、考えてみりゃ明らかだ。いくらあいつだって万能なわけじゃない」
「うん」
「それに、体もどんどん壊れてた。だから、さっさと止めるべきだったんだ」
「それは、誰もが思ってて、誰もが出来なかった。そういうことだと思うよ」
「そうだな、そうかもな」
 ヴィータの言葉は、殆ど呟き。その姿が、あまりにも儚げで私は面食らう。消えてしまうのではないか、とさえ思った。
「ねえ、ヴィータ」
「ん、なんだ?」
「まさか、なのはを追うとか、言い出さないよね?」
 問うと、ヴィータの瞳が丸く広がる。
「お前がそれを聞くとは思わなかったね」
「そうかな」
「ま、こちらの話だ」
 言いながら、ヴィータは椅子に座り直す。仕切り直しということのようだ。
「フェイトはそう思うのか?」
「わからない」
 素直に答えた。
「頭の片隅では、ずっとなのはを追いたいと思ってるんだけど、私をこの世に捕まえて離さない部分もある。どっちが本当の私かはわからないんだ」
「だいたいみんなそんなとこだろ」
 ヴィータの言葉は冷静だった。
「あたしもなのはを追うのがいいんじゃねぇか、って思う時がある。あたしはなのはを守るって決めたんだからな」
 ヴィータは、キーホルダーを握りしめる。グラーフアイゼンである。
「だけど、一つ思うことがある。それはな、誰のためになるのかってことだ」
「誰のため?」
「なのはは、なのはのために死んだと思ってる。あくまで、自分を貫いて、自分のために死んだ。あたしはそう考えてる」
「私もだいたいそう思う」
 なのはは自分の夢を叶えて死んだ。それは、自分のためといってもいいのではないだろうか。
「じゃ、あたしやお前が今死ぬとして、それは誰のためになるんだ?」
「私はなのはのために」
「既に死んだなのはのために死ぬことは、なのはのためなるのか?」
 ヴィータはかく述べる。私は答えを持たない。
「あたしの結論はそういうことさ。なのはのためにもならねぇのに、なのはのためだと死んだところで、それはただの自己満足でであり逃避でしかねぇからな。それくらいなら、生きてた方がまだマシだって思うようにしたのさ」
 そうだろうか、少し考える。
 ユーノは言った。私が今死ねば、高町なのはの伝説は完成すると。
「なのはは、英雄になりたかったのかな?」
 思わず私が一言漏らすと、ヴィータは怪訝な顔をした。
「はぁ? 何を言ってるんだ」
「でも」
「あいつがそういう柄か? あいつが、名声なんてものを考えているとは思えねぇ」
「だけど、なのはは夢を皆に残していったわけだし」
「そりゃそうだが、それをなのははきっと意識してねぇと思うぞ」
「そうかな、なのはの目指したのは教導官で、やはり皆に」
「なのはが教導官になったのは、あくまでなのはが、他の皆を救いたい、ということだっただろう」
「そうだけど……」
「第一」
 ヴィータの視線がこちらを鋭く射抜いた。
「フェイト、自分も信じてねぇんだろ? それを」
 その碧瞳は、すべてをとうに見通しているようだ。私は溜息を一つつくことしかできなかった。
「なのはを一番近くで、一番長く見てきたのはフェイト、お前なんだ。そのお前が、その程度のことをわからねぇはずがねぇ」
 当たり前のことだった。
 なのはは、自分が英雄になっているなんて、思いも寄らないだろう。自分が英雄になったと聞いたら、きっとなのはは、少し困った笑いを浮かべながら言うだろう。「私はいつも全力全開でやるだけなんだよ」と。
 それを私は、よくわからない理由や理屈を並べ立てて考え込んだふりをしていただけなのだ。そうして、私は逃げる理由を探していた。きっとそれだけなのだ。
「そこまで見通した上で、きちんと考えるんだな。これからどうするか、ということをな」
 それまで私の目を見透かすような目をこちらに向けていたヴィータは、私から目を外して下を向く。つまり、この言葉を誰に言っているか、ということだ。
「ありがとう、ヴィータ」
 私は、自然に頭が下がる。
「え?」
 ヴィータのおかげで、私は私を見失わずにすんだ。そんな気がするからだ。
「そ、そんなんじゃねぇよ。あたしは、ただ自分の悩みを整理しにきただけだかんな!」
 ぷう、と口を膨らましたヴィータに、私は思わず笑ってしまった。



 なのはは、英雄だ。
 英雄にたまたまなってしまった。
 きっと、そういうことなのだろう。
 私は、そう考えることにした。

 なのはは、なのはらしく生きただけ。その結果、たまたま英雄というものが待っていたのだ。
 故に。
 ただ英雄とのみ語られるなのはは、なのはではない、と。そんな気がする。

 むしろ、英雄ではないなのはこそが、いつも全力全開で物事に挑み続けたなのはこそが、なのはという一人の人間がこの世界に存在していたことを示すものではないだろうか。つまり、英雄ではなく、人間であるなのは。それこそが、なのはのなのはたる所以ではないか、と思うのだ。

 ならば、私がなのはに出来ることはただ一つ。
 私は、高町なのはを知る一人として生きていく。
 英雄ではなく、人間である高町なのはを知る一人として生きていく。
 それこそが、なのはという人間の生きた証であるから。それが、せめてもの償いになると思うから。なのはを独りにしないというのは、そういうことだろうから。
 そして、なのはに恥じぬように生きていく。
 いつか再会した時に、胸を張ってこう言えるように。

 久しぶりだね、元気にしてた?



「ねえ、フェイトママ」
「どうしたの?」
 夕食後の片付けは、ヴィヴィオの仕事である。準備は私がメインだから、片付けはヴィヴィオがメイン。それが決まりだ。
「なんだか、フェイトママ、元気になった?」
 ヴィヴィオが皿を食器洗い機に仕舞いながら、私に聞いてくる。
「そう?」
 机の皿を台所に下げてきた私は、ヴィヴィオに問い返す。ヴィヴィオは、食器洗い機の方を向いたまま。横顔はいつも通り。
「うん。なんとなく」
「そっか」
 とにかく、普通でいるつもりだったのだけれども。ヴィヴィオにもわかってしまっていたらしい。
「やっぱり、なのはママの話?」
「……そうだね」
「そっか」
 といったきり、ヴィヴィオは黙り込む。考えてみれば、なのはが墜ちて以来、ヴィヴィオとなのはの話をすることはなかった。ヴィヴィオは何も言わなかったし、私もまたそれを持ち出して傷を広げることもないと思ったからだ。
 だから、私は少し怖かった。ヴィヴィオがどう反応するのか。
「私、元気じゃなかった?」
 しかしまた聞いてみる。聞かなければならない気がした。
「えっとね」
 皿を片付ける音の向こうから、小さいながらヴィヴィオの声が届いた。
「フェイトママはね、なんか、いなくなっちゃうんじゃないかなって、そんな気がしたの」
「ヴィヴィオ……」
 台所へと踏み込む。ヴィヴィオは俯いていて、表情は読めない。
「フェイトママ、時々無表情になって、私少し怖かったの。まるで、抜け殻みたいだったから」
「そう?」
「うん。なのはママとフェイトママ、とても仲良しだったし、そのままなのはママを追いかけちゃうんじゃないかなって」
 不安そうなヴィヴィオの声を前にして、私は台所の入口に立っていることしかできなかった。
「でも、最近はそんなことなくなった気がするの。だから、元気になったかなって思った」
 ヴィヴィオもまだまだ子供だ、と思っていたが、想像以上に私を見ているようだ。すこし驚かされる。
 そして、彼女に大きな心配を与えていた、とも。
「そっか、ヴィヴィオはちゃんと私を見ていてくれたんだね」
「だって家族だもん。当然だよ」
 家族。私にとって、かけがえのないもの。そうだ、と言ってくれる程嬉しいことは、私にはない。
「ありがとう」
 自然と言葉が出る。
「お礼されることじゃないよ」
 聞こえるヴィヴィオの声は、少し柔らかい声。本当に、私の方が世話をされているみたいだ。
「だから、どこにもいかないで」
「え」
「ママが二人もいなくなるのはイヤだよ」
 平坦なヴィヴィオの声。さも感情の籠っていないかのような声は、ヴィヴィオの感情が如何に激しいかを、逆に窺わせた。
 私は思わず、ヴィヴィオを後ろから抱きしめた。ヴィヴィオも皿を入れる手を止めた。
「ごめんね、ヴィヴィオ」
 私は親失格かもしれない。ヴィヴィオがいるということを、どの程度意識していただろうか。私は、私のことしか考えていなかった。
「ごめんね、ヴィヴィオ。もう絶対どこかにいったりはしないからね」
 小さなヴィヴィオの背中が、わずかに震えている。私はそれがあまりにも申し訳なかった。

「フェイトママ」
 どれくらいそのままでいただろうか。私には短くも長くも思えて、わからなかった。
「私ね、フェイトママが羨ましいんだ」
「羨ましい?」
 少し意外な言葉に、私はヴィヴィオから離れる。ヴィヴィオが初めてこちらを向いた。色の異なる二つの瞳が、心持ち輝きを増していた。
「レイジングハートがね、言ってたんだ。なのはママの最期の言葉」
「なんて?」
 少し怖い。なのはが何を考えていたのか、レイジングハートならみな知っているはず。だからこそ、私は見ることができなかった。
「"フェイトのお陰で私は幸せだったよ。本当に、感謝してもしきれない。ありがとうね、フェイト"って。そう言ってたって。レイジングハートが、そう教えてくれたんだ。なのはママは、本当にフェイトママのことを信じていたんだね」
 ヴィヴィオの言葉に、涙が交じる。私も思わず涙をこぼした。
「そうやって、言い切ることができる関係ってとってもいいなって、そう思うの」
 ヴィヴィオの言葉には、相変わらず感情が込められている。誇りや悲しみや羨ましさなどが渦巻いているよう。
「そう?」
「うん。私もそういう関係を、作っていけたらいいなって、そう思うんだ」
「そっか」
 やっぱり、ヴィヴィオの母はなのはなのだ、と実感する。
「ヴィヴィオは、なのはが誇りだったんだね」
「もちろんだよ。私はなのはママも、フェイトママも大好きだもん!」
 叫ぶヴィヴィオの目から、水滴が零れる。
「だから、だから……」
 ぼろぼろ、と涙を流し始めたヴィヴィオを前に、私はまた抱きしめた。私も気付かぬ内に涙が流れている。
 今度は二人で泣いた。声は上げず、しかしただ涙を流した。



 なのはの墓は、至って普通の日本式であり、石を縦長に切り出したものだ。そこに、「高町家」と書かれている。なのはがここにいることを示すのは、右に置いてある石版に彫られた、埋葬者一覧のみである。
 "ミッドの英雄"には小さい墓だ。
 でも、それがいい、と思う。

「お久しぶり、なのは」
 二ヶ月と少し以来。相手は物言わぬ石。だから、よい。
「悪いけど、私はまだそっちについていけないや」
 思ったより、私の背負うものは多いらしい。そういうことが、わかって来た。
「英雄だとだけ語られ続けるのは、なのはもイヤだろうしね」
 なのはは語られること自体を嫌いそうであるが。しかしそれはどうしようもない。だからせめて、なのはが人間であることを知らせよう。
「なにより、なのはの夢の行く末を、見届けたいんだ」
 なのはは、たくさんのものをこちらに遺してきた。なのはの友人として、それを見届ける必要がある。そう思えるようになった。
「だから、なのはは暫くゆっくりしててね」
 墓石に手を置いた。ひやり、とした感触。しかし、なんだか暖かい気もした。
「それじゃ、またね」
 笑いかけて、手を離す。
「また一緒になった時は、ゆっくり話したいな。なのはの夢が、どうなったか話すから」
 めいいっぱいの笑顔を向けて。
 そして私は、振り向いた。



 白い道が、前に続いている。












Serves animae dimidium meae. ――Quintus Horatius Flaccus"Carmina"
 我が魂の半分たる友の、平穏にあらんことを。 ――クイントゥス・ホラティウス・フラックス『歌集』
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