―― 英雄初霜の堕落 ――





《初霜です。只今、留守にしております。伝言がありましたら、合図の発信音に続けて、お名前とご用件をお話し下さい》
 唐突に電話機が喋り始める。最初は、聞き慣れない自分の声を発する機械を、気持ち悪く思ったものだ。
《ご無沙汰しております。帝国海軍の細川奏子です。以前、与那国島奪還作戦の際には、様々お世話になりました。初霜さんは、いかがお過ごしでしょうか?》
 黄昏に染まる部屋に、かわいい声が響く。雑然としたワンルームには、不似合いに思える。初霜は、ベッドにうつ伏せに転がったまま、部屋を眺めている。すべてが朱く染め上がると、片付かないだけのこの部屋も、少し儚い雰囲気を纏うようだ。
《この度は、秋田子爵家家宰の父より、言伝を預かりまして、電話させて頂きました。直接お話したい内容ですので、また後ほど連絡致します。それでは、失礼いたしました》
 ぴ、というビープ音とともに電話機は静かになる。朱に染まる部屋を沈黙が支配する。
 その中にあって、初霜は、しかし動かない。要件はわかっている。まず間違いなく、"お見合い"だ。初霜にしてみれば、もはや聞き飽きたような話。細川と名乗った彼女には、確かにいろいろお世話になった。が、かといって掛け直す気はとても起こらない。


 深海棲艦との戦争が終わってより十余年。人々はすでに彼の戦争を半ば忘れつつあった。長きに渡る戦争に、この国はすべてを失った。この国はいまだ復興の糸口を見つけられず、ますます迷走を深め、刻一刻と沈んでゆく。人々は生活がよくならないことに怒り、立ち上がり、そして、諦めた。二十数年に及ぶ総力戦は、本土を尽く焦土となした。戦争が終わって振り返ってみると、弥生の昔より連綿と受け継がれた田畑も用水も、すべてが森林と化していた。列島は縄文の世に還り、根本基盤から破壊された社会は、外からの細々とした援助に縋り付きながら、その規模を縮めていく。
 そんな世相にあって、艦娘の運命も大きく変動していた。莫大な維持費を要する艦娘は、この国には重すぎる。旧型のものから退役を勧奨され、半ば強制的に軍を離れたものも少なくない。
 その意味では、初霜は恵まれていた。初春型艦娘艤装といえば、欠陥艤装として有名だ。速度や安定性、舵の応答性もそうだし、浜風や朝霜によれば、艤装の操作性も悪い艤装らしかった。しかも、戦争の間に、同型の姉妹を全て失っている。それにもかかわらず、十年にもわたって軍歴を重ねられたのは、幸運という他ないだろう。
 ゆえに、退役を勧告されたときも、初霜はそれを当然だと思ったし、むしろこれまで使ってくれた軍には感謝しなければならない、と。そう思った。しかも、退役しても軍人年金が出る、という。艦娘としての稼働が長く、武勲も多かった初霜がもらえる年金の額は大きい。これから何もしなくても一生遊んで暮らせるほどだ。飢餓さえ珍しくないこの国にあっては、これ以上ない待遇。文句をつけるところなど、どこにもない。



 ゆえに、初霜は平日の昼から、こうして部屋のベッドに寝そべっている。
 初霜は、ぼんやり部屋の中を眺め回す。机の上には、様々な書類が投げ出されている。来た郵便物をまるごと全部載せているだけ。ほとんどは宣伝や、何かの依頼の手紙であろう。床にも、衣類が散らばっている。脱ぎ捨てたままの形で、まるで地層のように堆積しつつある。シンクには、インスタント食品の容器の山。そろそろ、片付けしなければならないことくらいはわかっている。わかっているだけ。
 ふと目に入った鏡には、相変わらず見慣れた少女の姿。艦娘でいる間は、年を取らない。仕組みはよく知らないが、ゆえに初霜は十年二十年という年月を、この姿で暮らしてきた。艦娘を辞めれば成長老化は再開するらしいので、本当のところ、きっと一年分は成長しているのだろう。初霜にはわからないが。
 まるで覇気のない目でうつ伏せに転がる様は、我ながら、競りにかけられる魚のようだな、なんておもいつつ。しかし、動く気にはならないのだ。



 一般社会に放り出された初霜だったが、そのまま静かに暮らすというわけにはいかなかった。幸か不幸か、初霜は武勲艦として、巷にも知られていた。対馬海峡解放の英雄とも祭り上げられたことがある。戦火の応酬甚だしき頃を知る人は、初霜の名を知っている。ゆえに、引っ越した翌日から、さっそく電話機のベルを聞き続けることになった。
 最初に持ち込まれたのは、雑誌やテレビのインタビュー依頼だった。曰く、戦争中の話をしてほしい、と。すでに戦争より幾分の時を経て、記憶からも薄れつつある。ゆえに、艦娘の方より話を聞き、もう一度、あの戦争を捉え直したい。そう述べた人もいた。
 初霜は、決して人前に出るのが好きなわけではない。まして、人の前で話すのは、いつも緊張するので、できれば避けたいとさえ思う。しかし、戦争について記憶に残したい、と言われては、断われない。あの戦争から十余年。記憶は次第に風化しつつある。
 風化しているから生きていられるとも思う。初霜の投入されたころ、戦争の激化まもないころは、地獄としか表現しようのない光景が広がっていた。敵の圧倒的な火力に逃げ回り、夜襲を警戒して眠るのさえ怖いあの頃。輸送船護衛任務に出たまま、消息を絶つ話さえ珍しくなかった。海戦のたびに、戦友の誰かがいなくなり、次こそ自分なのではないかと、いつも思っていた。初霜は、結果的に生き残ったに過ぎない。たまたま、初霜が死に損ねたに過ぎないのだ。
 初霜は、しばしば思う。四人姉妹の中で、どうして自分だけが生き残ったのか、と。欠陥艤装と言われた初春型。だからこそ、各地で酷使された。投入されるのはいつだって地獄のような戦場。半ば使い捨てのような扱いは、さしづめ「沈んでもそれほど困らない駆逐艦」というところだったのだろう。
 それにしては、頑張ったはずだ。艤装ゆえに役目を果たせなかった、とだけは言われたくなかった。それが、姉妹の総意。だから、初春型は、誰よりも懸命に働いた。誰よりも早く起きて身を鍛え、誰よりも遅くまで起きて知識を蓄えた。少しでも戦場で役に立つように。危険な戦場があれば、率先して向かい、一つでも多くの功績を挙げんと励んだ。
 最初は、子日だった。東京防衛を賭けた、伊豆大島沖海戦。総力を挙げた抵抗も虚しく、圧倒的な敵戦力を前に帝国海軍は壊滅した。その激戦の中で、子日もまた戦艦主砲弾を受けて、爆散したのだった。子日だよ! というあの明るい声がもう二度と聞けない、と気づいた時の喪失感は、忘れられない。
 若葉は、熊野沖だった。一航戦護衛任務の最中に、潜水艦から魚雷を受けた。加賀の身代わりになった若葉が、なぜか嬉しそうだった。そのなんとも言えぬ表情が、初霜の記憶に強く刻まれている。
 初春は、樺太海馬島沖。その場に、初霜はいなかった。後で磯風に聞いたところによると、自ら囮を引き受け、ギリギリまで敵を引きつけて、勝利のきっかけを作ったそうだ。駆逐艦のみで、戦艦含む敵戦力を壊滅せしめた奇跡の海戦の立役者だと、磯風がやたらと褒めていた。

 そして次は。

 次は来なかった。ちょうど海馬島沖海戦の頃を境に、戦況は好転し、そのまま戦争は終わってしまった。初霜が活躍する場は、どこにもなかったのである。
 死にたかったわけではない。自殺願望なんて、初霜には少しもない。だが、置いていかれてしまった、という感覚を否定できない。本当なら、初霜が姉たちを守るべきだった。それなのに、初霜は生き残った。それは、初霜が姉を守りきれなかったということにほかならないのだ。
 だから、ある記者の言い分に思わず頷いてしまったのだろう。生き残った人が語らねば、忘れ去られる一方なのです、という。
 初霜自身、戦争の風化を肌に感じている。戦友たちはおろか、姉たちの顔さえ、記憶が朧げになってきている。いったい初春がどんな眼の色をしていて、子日がどんな声色で、若葉がどんな姿だったのか。初霜は、思い出せなくなりつつある。一番付き合いの濃いであろう初霜でさえこの様ならば、世間ではいよいよ忘れられていくだろう。地獄のような戦争の中に消えた艦娘は、忘却の彼方に失われていってしまう。
 そう考えた時、初霜は、自分が話さねばならないように思った。あの場で誰が生き残るかなんて、所詮くじ引きのようなもの。一歩間違えば、自分が海の藻屑になっていた。自分は、たまたま生き残っただけで、彼女たちの何一つ変わらないのだ。それなのに、沈んだ仲間がこのまま忘れ去られるのをよそに、自分だけ楽しく暮らしてよいのだろうか。彼女たちが、ただ忘れ去られていくことを許容してよいのだろうか。
 ゆえに初霜はいそいそと出ていって、長々と自分の体験を話してみることにした。初霜は、わざわざ広島の出版社まで赴くと、そこそこ有名だという雑誌の記者を前にして、血塗られた道を一つ一つ、丁寧に、かつ真剣に語った。初陣の沖縄撤退戦以来、圧倒的な敵軍を前に、次々と守るべき民間船を打ち沈められ、戦友たちも一人また一人と欠けていった。砲火に紅く染まる夜空は、目に焼き付いて離れない。以来、初霜たちの参加する戦いは、どれも不利なものばかり。いかにして明日の朝日を見るか、という戦いばかりだった。連日の本土空襲で、陸にさえ安寧の地を得られぬ地獄のような日々。その中で、姉たちや戦友がいかに戦ったか。いかに敵を打ち破って喜び、またいかに打ち破られて沈んでいったのか。初霜は、懸命に自分の体験した"凄まじさ"を語ろうとしたのである。
 なんとか意を尽くしてインタビューを終え、しばらくは満足していた初霜であったが、いや、そうであっただけに、送られてきた雑誌に初霜は愕然とした。そこにあったのは、初霜がいかに武勲を立てたのか、英雄的な人物であったのか。そればかり。表紙には、「すべてを救った駆逐艦!」と大きく記されている。
 決してそれが"作られて"いるわけではない。間違いなくすべて、初霜の言葉である。しかし、的確に取捨選択され、組み合わされたそれは、戦場の悲惨さや泥臭さをすべて削ぎ落とされ、颯爽と海上を駆け回り、敵艦を次々打ち破る"英雄初霜"を打ち出している。
 そんなつもりで話してなぞいない。自分が英雄? そんな冗談は、勘弁して欲しかった。たしかに、人より少し武勲は多いかもしれない。しかしそれは、初霜が優秀からではない。他の艦娘たちが次々と沈んでいく中で、初霜が沈みそびれただけ。そんなものを、英雄とは呼ばない。英雄というのは、すべてを救ったもののことをいう。自分のように、多くを取りこぼし、自分だけ一人生き残ってしまったようなものは、死にぞこないであって、英雄ではない。まして、「すべてを救った」などと、口が裂けても言えるはずがない。守れなかった戦友に、姉に、向ける顔がない。
 だが、そんな思いを他所に、初霜は英雄として扱われ続けた。次に受けたインタビューも、その次も同じだった。テレビインタビューであれ、新聞記事であれ、ラジオであれ、媒体を問わない。どのような、初霜の英雄的な側面ばかり取り上げる。初霜が伝えたかった地獄の様は、痕跡さえ残らず、仲間がどのように戦ったのか、という点もほとんど採用されない。唯一、その死が初霜の行動に繋がるようなときにだけ、ピックアップされて採用されるのが、また虚しかった。
 初霜ははじめ、自分の意が伝わっていないからだろう、と考えた。人前で話すのは慣れていない。きっと、自分の伝えたいことが伝わらなかったに違いない。インタビュアーの人たちは、初霜の話を「そういうもの」だと捉え、わかりやすいように編集してくれたのだろう。だから、初霜は、どうすれば自分の言いたいことが伝わるのだろうか、と考えた。地獄のような戦場の硝煙の匂いと、紅く輝く夜空と、艦載機たちの羽音とを、どうやって伝えられるだろう。艦娘達がその中でいかにもがき、沈んでいったのか。地獄の中での苦闘を、どうすれば彼らは受け取ってくれるだろう。
 テレビを見てはアナウンサーの話し方を研究し、本を買ってはわかりやすく物をあらわす方法を学んだ。とにかく、初霜は真面目である。ひたすらに、それこそ寝る間も惜しむほどに、どのように何を話せばよいのか、ということを突き詰めようとした。少しでもわかりやすく話せるように。わかりやすい文章を書けるように。戦友や姉や、皆の奮闘と死とが、皆にきちんと伝わるように。
 しかし、そうした努力はすぐに終わることになる。はじめての講演会を前に、コーディネーターの若い男は、かく述べたのだ。初霜さん、私たちは、あなたの武勇談を聞きたいんです。初霜さんが、どのように戦って、あのような輝かしい武勲を立てられたのか、それをみな聞きたがっているんですよ。そのことを中心に、お話頂けるでしょうか。
 戦場の様子ではないのですか、と問い返した初霜に、男は続けた。こう言っては申し訳ないのですが、皆さん、暗い話を聴きに来ているわけではないのです。こんな暗いご時世に、少女がバタバタ酷い姿で沈んでいく姿なんて聞いても、仕方がないでしょう。ぱあっと、清々しい気分になるような話を欲して、この場に来ているのです。"英雄"であるあなたが、どんなふうに憎き敵を打ち破り、我が国に輝かしき勝利をもたらしたのか、そういう話を聴きに来ているのですよ。それで、我々にも自信を分けてほしいのです。
 その言葉に、初霜はようやく、自分の意図が"伝わっていない"のではなく、"弾かれている"ということを理解した。皆は何が起こったか、ということになんて興味を払っていない。聞きたいのは、戦争に勝ったという武勇譚であって、勧善懲悪の物語。初霜がどう活躍して敵をなぎ倒したのか、というその一事だけ。だから、当然のように初霜の活躍したところだけを切り取っていたのだ。そういう物語を聞く上では、初霜が他の艦娘と大きく変わらないようでは困るし、ましてたまたま運で生き残った、なんて話は受け入れられようはずもない。他の艦娘たちがどんな思いを背にして戦い、そして虚しく散っていったのか、なんて陰気臭い話は、求められていなかったのである。
 まもなく、全てを初霜は断ることにした。もはや初霜に話せることは何もなかった。自らを誇るのは簡単だ。初霜が語った戦いの中には、初霜以外の参加者が全滅しているものも少なくない。初霜がいかに偽ったとて、その真偽は確かめられない。だから、すべてを初霜の戦果ということにしても、文句をいう人は誰ひとりとしていないのだ。だが、そんなことはとても初霜にできるはずはなかった。そこで共に戦ったのは、靖国に憩う戦友たちであり、姉たちである。彼女たちのことを考えれば、自分の功のみを誇ることなんてできない。初霜は、初霜がなしたことしか語れない。そもそも、初霜の武勲は、初霜の能によるところではなく、戦友たち、姉たちとの協力があり、かつたまたま初霜が生き残ったという、その運によるところ。そのことを考えながら、なお自分の功を誇ることなぞ、初霜にできるはずもなかった。



 次に多かった誘いは、お見合いの申し込みであった。しかも、明らかに身分の釣り合わない、華族からの申し込みである。なんでも、華族の間では、艦娘を嫁として迎えることが流行っているらしかった。艦娘ならば身体も頑健で、良き児を産むだろうとされる。格に関しても、艦娘は一応海軍将校相当の扱いであるから、最低限は満たしているし、相応の礼儀作法も身に着けている。なにより、艦娘はこの日本を守った英雄ということになっている。その英雄を家に入れること自体が、名誉だという話も聞いた。実際に玉の輿に乗り、艦娘から爵位持ちの夫人になった、という話もいくらかある。たとえば、電がどこぞの侯爵家に嫁いだときなど、艦娘中で大騒ぎになったものだ。。
 そうはいっても、初霜は恋愛になんて全く興味がなかった。それにはまだ自分が未熟に過ぎると思っていたし、ガラではないとも思う。まして、結婚して家庭を築く、などということは想定できなかった。家庭で穏やかに過ごす自分というのは、全くイメージが沸かない。それに、そうやって平和なまま一生を過ごしたい、とは少しも思わない。それもやっぱり、自分には合わない生活だ。
 だから、お見合いと言われても全くピンとこない。きっと、ただの誘いなら断っただろう。
 しかし、そういうわけにはいかなかった。最初に誘ってきたのは、その電だったのである。初霜が退役するや、すぐに連絡をくれ、会うことになった。その席で、誘われた。
 すでに退役して七、八年を経た電は、艦娘だったころの幼さはどこへやら。小さい体でちょこまか動き回り、でも不器用でしょっちゅうどこかにぶつかってばかりの彼女は、そこにはいない。たかが七年の間に、すらっとした綺麗な女性に様変わり。侯爵夫人にふさわしい上品で丁寧な挙措は、とても同一人物とは思われない。声色でさえすっかり落ち着いている。かろうじて、笑った時の面影に昔の姿が残っているような気がする。不変の艦娘では、月日の経過などあってなきが如しだが、人の激変というものを見てしまうと、改めて月日の変化の恐ろしさを感じるのだ。
 その彼女に、席上で頼まれてしまうと、断りづらい。終戦まで生き延びた数少ない先任の艦娘であるし、多く世話にもなった。なにより、電が仕事を失った初霜に気を使ってくれていることもわかる。
 それに、少し電が羨ましかった。どうやら彼女は随分と可愛がられているようで、結婚して年月も経つのに、惚気も入るような、楽しげな結婚生活をいろいろ話してくれた。なにより、電があんなちんちくりんから綺麗な女性に変身したのは、やはり結婚したからなのではないか、と。そんなことを感じさせた。いくら自分には似合わない、と思っていても、幸せそうな電の姿を見てしまったら、憧れを持ってしまうことは、否定しようもなかったのだ。

 かくて、初霜は誘いに従ってお見合いとやらに、出ることになってしまった。
 慣れない服を着て、慣れないおめかしをして、とても自分には不釣り合いなホテルに出かけて。でも、、終えた時に残ったのは徒労感だけであった。
 相手はとある子爵家の跡取りだった。なんでも、陸軍の将校で、将来は高官にも嘱望されるような人物だそうである。ちょっというと、見た目もスラリと背の高い知的な雰囲気で、その意味では悪くなかった。
 しかし、話題に上がったのは、駆逐艦初霜の武勲の話ばかり。あくまで、初霜がどんな艦娘であったか、ということばかりで、どんな人間であるか、なんていう話題は少しも出ない。それも、彼の中でも、初霜は英雄のようだった。対馬海峡を奪還した時の戦について、南硫黄島沖での輝かしい戦績について。問われるのは、そんなものばかりである。どんなに、自分には才能もなければ能力もなく、また艤装にも恵まれていない、ということを話しても、聞いてはくれない。またまたご謙遜を、と、彼は頑として初霜の菲才を認めようとはしないのだ。おそらく彼にとっては、初霜が英雄で"なければならない"のだろう。そうだからこそ激戦を生き残ってきたのだ、と彼はそう確信しているらしい。それに、名門の家に入れるのは、"英雄"でなければいけないのだ。
 しかも、そうやって艦娘としての活動は聞くのに、肝心の彼は、艦娘や海軍については何も知らない。大和や武蔵についてさえ知らないと来れば、艦娘自体に全く興味がないのではないかとさえ、疑われる。彼は、初霜が英雄でさえあれば、あとはどうでもよいのではないか。初霜は、その男とは二度と会うことはなかった。
 だが、その経験は決して一度ではない。一度目が失敗だったと聞いた電は、すぐに二度目を手配してくれたし、それを聞いた他の知り合い――それは元艦娘だったり、他の軍人だったり、あるいは現艦娘であることもあったが――からも誘いがある。一度誘いに乗ってしまった以上、断るのは失礼に当たるような気がして、初霜は断れない。結果、あちこちでお見合いをくりかえすことになった。しかし、会う人会う人、みな似たようなものだった。誰もが、初霜こそ英雄だ、と称賛する。英雄でなくてはいけないのだ。そう言われるたび、初霜は英雄なんかじゃない、と叫びたかった。自分は誰も救えなかった。多くの輸送船を沈められ、戦友を沈められ、姉を沈められた。英雄などとは、程遠い。
 最初と違ったのは、艦娘については詳しい人も何人かいたこと。だが、そういう人ほど、艦娘としての初霜しか見ていないような気がする。彼らは、初霜の戦績をつらつらと挙げ、匹敵するような艦娘がほとんどいないことを褒め称える。それで、初霜を褒めているつもりらしい。だが、それは「艦娘の初霜」でしかない。そういう人ほど、初霜が実際にはどんな人か、などということを見ていない。そういう気がしてならない。
 しかし、初霜は、幾度目から薄々と、それが何より自分の問題であることに気づき始めていた。仮に人間初霜について問われたならば、初霜はなんと答えたのか。初霜は、そんなものを持っていないことを悟ってしまった。話をしようにも、初霜からできる話がほとんどないのだ。海軍の話と、艦娘の話と、戦争の話。その三つを除けば、初霜から話題を提供することなんてできなかった。初霜は、ずっと艦娘として、少しでも多くの人を守るため、ただそれだけを目指していた。その「艦娘」という冠が外れた時、初霜はもう何でもない、中身のないただの少女だった。要するに、お見合いで見つけたのは、自分の相手の浅さではなく、自分の浅さだったわけだ。
 それを自覚したとき、もうお見合いに行こうとは思わない。初霜はかくして、誘いをすべて無視することにした。

 他にも、いろいろやってみれば見るほど、どこまでも自分が武勲を上げた艦娘であり、艦娘でしかないことを思い知る。どこに行ったって、初霜は「英雄の艦娘」であったし、それだけでしかなかった。自分からは、それ以外の物なんて何も出てこない。動けば動くほどに、「英雄初霜」が勝手に作られていくように思える。本当はそんな英雄じゃないんだ! と初霜が叫んだところで、その声は届かない。叫ぼうにも、そんな英雄じゃなくて、本当の私は……、という先の言葉が続かない。とにかくがむしゃらに動いてみた結果出てきたのは、自分が、何者でもなくなっている、という事実だった。
 それを強く自覚したとき、ついに初霜の糸が切れた。それまで、寝る間も惜しんでがむしゃらに進んできたが、結局何も得られてはいない。自分の望まぬ英雄としての偶像ばかりが大きくなって、それに対して自分の中身が空っぽであることを、まざまざと見せつけられるだけ。
 そのことに気づいてしまうと、もはやもう一度立ち上がることは、叶わなかった。

 力尽きて、はじめて気づいたことがある。何もしなくても、初霜は何も困らないということだ。年金があれば、一生何もしなくても、生きていける。
 かくて、初霜の生活は、かくのごとく堕落し果てた。


 気づけばもうすっかり外が暗くなっている。今日もまた、一日が終わっていく。
 なんとなく、お腹が空いてきたなぁ、と感じてきた。しかし、起き上がるのが面倒だ。そういえば、備蓄のものをいろいろ切らしていたことを思い出す。買いに行こうにも、財布をどこに置いたのか、記憶が無い。
 しかたない、また眠ろう。
 考えるのも面倒だった。まあ、そのうちなんとかなるだろう。

 目を閉じた初霜の視界を、瞼裏の赤が覆い尽くした。



(続?)
 かくて英雄は英雄となり、地に落ちる。


 本来は長編の序盤となる予定のもの。
TOP