運命を操るとて、紅い吸血鬼、その名を馳す。
運命を操ることが、レミリアの目下の思索対象である。自らの能力とは運命を操ること。なれば自らの能力もわからぬのか、と問われそうである。されどレミリアはこの問いに、そうだ、と答えねばなるまい。運命を操ることは、レミリアの理解を超えていると言う他ない。
レミリアは大きな部屋に独りぽつんと座っている。大きな玉座に腰掛け、両足を宙に浮かせながら、正面下に位置する扉をしげしげと眺めていた。
そも運命とは何ぞやと問わねば、操ることを問うには能わぬ。運命の正体について、レミリアは答えを出さねばなるまい。だが、それですらレミリアは確たる答えを持たぬ。レミリアは全てのモノが運命を持つことを知っている。しかしその運命がいつどのように成り立つかを知らない。人の運命はいつより決まっているのか、運命が、本当に全てのモノに存在するのか。そして運命がどの程度の束縛力を有しているのか。そもそも、ほんとうに運命なんてものが存在するのかどうか。
ふふ、とレミリアは微笑した。扉の向こうからはひっきりなしに剣戟が響いている。あれは咲夜の戦う音。咲夜まで上がってくること自体が上等。あとは咲夜の仕事。レミリアの知るところにあらず。
運命ほど哀しきものぞなき。と、レミリアは不気味に呟く。
運命を操る能力とは何とお粗末な代物か、とレミリアは独り嘲り笑う。自らの理解を越える代物を操れたとて、何の利あらん。運命を弄られようとも、その先を見通せなば意味を為さぬ。
そも、運命を操ることが世界に何を齎すか、自分すらわからぬのだ。これはなんと笑えることだろうか。運命の何たるかを知るに500年は短い。そして吸血鬼如きには力不足。たれば吸血鬼に不相応なる力を与えらるるは、何の因果たらん。これではただの道化ではないか。
部屋中央のシャンデリアが、震然と鳴る。咲夜が苦戦しているのだろう。咲夜の能力に依りて広げらるるこの館が空間は、咲夜の状況に呼応して僅かに動く。僅かであり、館の維持になんら支障を来たさぬ辺り、彼女の性格に感謝すべきか。
咲夜の状況悪化を悟りて猶、レミリアは足を下ろしもせぬ。相も変わらず高すぎる玉座上に坐するのみ。
あやつが相手ならば、咲夜が苦戦するのも道理なのだ。そも既に奴はパチュリーを打ち破っている。咲夜が勝ち切るのは難しいかもしれない。
それでもレミリアはこの部屋より出てはならぬ。王はたとえ危機が迫ろうと、悠々坐して敵を迎えるが義務。ここでもし咲夜に加勢しようものなら、咲夜は信頼されていないと感じるだろう。誇りを傷つけることにもなりかねぬ。故に、たとえ咲夜が敗れようと坐して待たねばならぬのだ。主が従者の誇りをへし折るのはたやすきこと。なれば主は従者に最大限の注意を払わねばならぬ。
愈々、レミリアは動きを見せねばならぬ時が来んとしている。やはり、咲夜に奴を任せるには荷が重過ぎたか。シャンデリアが鳴るわけでもなし、ただ、羽がごく僅かな空気の揺らぎを感じるのみ。されど、それがレミリアには苦戦を感じさせる。
ばさり、とレミリアは翼を一撃ちする。その一動きは、忽ち部屋の空気を一変させた。これまで寂然たる静に包まれていた部屋は、爍然たる動へ入れ代わる。部屋にはレミリアの妖力が満ち、反応して壷が打ち震える。シャンデリアが再び鳴り響く。
刹那、重低音が部屋を飲む。こはレミリアの所業でない。外の爆発が、部屋を揺さ振った音である。
やはり、咲夜では無理であったようだ。仮令時を操る能力を持っていようとも、彼女はあくまで人間でしかない。脆く弱い人間であり、すぐに壊れてしまうような存在なのだ。
ふと、咲夜の姿を思い浮かべて、レミリアは苦笑いした。彼女が紅魔館に来た頃の小さい姿が、部屋にあるように思えたからだ。
あの頃から咲夜は、真面目で堅い性格だった。同族を謀り妖をも陥れる人間にしては珍しく、約定にはけして背かず、主を立てて身を引くを常に心得て行動する。たしかにそのように育てた、ということはあれど、彼女の性格の影響の方が遥かに大きいのではないか、とレミリアは思っている。
ぎしり、と扉は重く悲鳴を上げた。両側からの圧力に、動くことも出来ず鳴くしかないのであろう。
レミリアは来訪者を歓迎するための儀式とばかりに、再び背の翼を思い切り撃った。部屋の空気は一挙に乱される。シャンデリアは激しく鳴り響き、調度品は宙を舞う。
されど、扉には関係ないこと。爆音と共に扉は砕け、密室は開かれた。塵が部屋に舞い、入口はそれに閉ざされる。
「あら、ここまで来たのね」
レミリアは始めて声を発した。真っ黒な翼を広げて、透徹する紅い瞳は塵煙に隠れる相手を捉えている。
「私が来ることくらいわかっていたくせに」
幼き声が返る。怒りに染まるその声は、しかし理知的に思えた。不思議なことであり、見えていたことである。その運命が見えても、理解できぬことは理解できぬ。
「そう。確かに貴女が来ることは確と見えていた。でも、その理由を知らない」
塵が晴れるのを見遣りながら、レミリアは続ける。自分でもよくわからぬほどに血が騒ぎ、そして冷静であった。このような感覚に陥ったのは、初めてかも知れぬ。
「そんなこともわからないの?」
冷徹な声が、塵より返る。もうその姿をレミリアは見ている。鮮やかな金髪が、紅き部屋の中で一際映えていた。
「497年もの間閉じ込めておいて、わからないっていうの」
ゆっくりとした言葉である。怒りも哀しみも、その言葉には含まれない。ただただ冷たく、レミリアに刺さる言葉であった。
「まだ何も知らぬ私を隔離して、物心付いた時には狂者のレッテルを貼り、本当に狂わせた。そうして、貴女は妹を狂者に仕立て、その上に平然と座っていた」
フランの顔は、言葉の内容と打って変わって異様に大人びていた。そこに、感情に任せて何かを破壊して回る、幼児のような面影はない。ともすれば、スカーレットの当主たるレミリアすらも凌駕するカリスマというものがこのフランドールにはあるように思えた。
「違う?」
「違うわ。貴女が狂っていたから私が暴れぬように封印したに過ぎない」
「狂っている?」
フランの声は重く冷たい。
「吸血鬼に、いや、妖怪に狂っていない者なんているの? 妖怪なんて狂っていない方が狂っているわ」
「あら、貴女は妖怪から見ても狂っているのよ」
「皆狂っている妖怪からして狂っているかどうか判定するなんて、酔っ払いが隣の者の酔不酔を問うようなものだわ」
馬鹿げている、とフランは吐き捨てた。やはりフランとは思えないような理性に満ちた言葉。妹の成長をレミリアは感じていた。
「狂った者が狂っていないなんて、まるで酔っ払いが自らを酔ってないと主張するようなものではない?」
レミリアはフランを見下ろして嗤う。フランが狂っていることを嗤うかのように。
「ああ、なら、力づくで示してやるわ!」
対してフランは叫んだ。
「侯は晒され、公は斬らる。王は斃され、帝は馘らる。貴女はどれが御望み?」
「古今東西、兄姉を弑して力を得た者はなし。嫡の嫡たる所以を、あなたに見せてあげる」
かの言葉を合図に、互いが宙へと飛び上がる。二人の出す妖力は、部屋をバリバリと震わし、壁に罅を入れる。
互いが右手に集めた光球は、光線となって飛翔し、丁度二人の中間で爆裂した。部屋は白い光に塗り潰され、レミリアの視界からフランが消えうせる。だが、全身の感覚がフランを既に捉えている。その感覚に頼り、右へと僅かに動きながら光球を放つ。すぐ左を、弾が貫いて行く。
視界が開けてくるが、それは二人の戦いになんの意味も齎しはせぬ。互いに相手が視認できぬとて、闇の住人たる吸血鬼には如何なる不利もないのだ。
言わば手加減であるスペルカードルールなぞ、この場には少しも適応されぬ。こは、スカーレットの当主を巡る争いなれば、どちらかが倒れるまで終わらぬ。
フランとの激烈なやり取りは、終わりを知らぬよう。レミリアはフランへと幾重にも攻撃を加えるが、フランは見事にそれを躱わしきって見せ、さらにレミリアへと攻撃を掛けてくる。
レミリアは、フランの攻撃の質の変化を見ていた。かつてのフランの弾幕は、その未熟さを力で覆い尽くすようなものが多かったはずだ。だが、今のフランの攻撃は、これまでのフランの攻撃とはまるで異なっているように、レミリアは思う。今のフランの攻撃は、計算しつくされたもののように感じる。
故に厄介だ。かつての理不尽に激烈なものも、大変であるのは変わりないようにも思える。だが、今の弾幕はそれに理が加わっている。一見してただのバラマキに見えるものが周到な罠であったり、隙間だらけにも関わらず、弾の動きが読みにくいこと極まりないものであったり。かと思えば、時折考える暇も与えぬような猛烈な攻撃が来たりもする。レミリアは一時も気が抜けなかった。
それは始めて三刻を過ぎても続いている。部屋の壁は弾により原型を留めず、シャンデリアは下で砕けて光を撒く。ただスカーレット当主の椅子だけが、無傷で君臨して異質な雰囲気を纏ってそこにある。
既に二人とて無傷ではない。レミリアの右翼は既に無く、フランドールの左腕は無い。もはや、双方とも体力的に限界であり、修復するだけの力が残っていないのである。
それでも、二人は無言を貫く。一言の声も発さず、只弾を打ち合い力をぶつける。弾をやり取りするその様は、まるで二人して舞っているようである。互いに血を振り撒きながら、その動きは少しの衰えも見せぬ。互いに片輪ながらもそれを全く感じさせはしない。
弾は激しく行き交い、二人の間で或いは落ち或いは互いの命を削らんと跳ぶ。
「随分と粘るじゃない。既にお遊びは満足したのじゃないかしら?」
「そうね。後は玩具を壊すだけ」
普段なら、挑発の一言にフランは正面から怒りをぶつけていた。怒りに身を任せ、我を忘れて力を振り回すのがフランドールであったはず。だが、今は違う。皮肉を言うだけの余裕が見られる。幼さ故の直情経行は、姿を潜めているよう。その変化が何故のものか、レミリアにはわからない。ただ、急激な成長はレミリアにとって喜ばしきことだ。
わずかに口角を上げた刹那、レミリアの左足は砕け散った。ほんの僅かな隙をフランはまったく見逃さなかった。
もうこの程度で良いだろうか、とレミリアは思っている。自らの全く関知せぬところでフランは大きく成長を遂げていたらしい。今のフランは、ついこの間のフランとは全く異なる存在とさえ言える。今のフランは確たる理性によって統制された一人の大人と言えよう。ならば、所詮扱えぬ能力しか持たぬレミリアよりも理不尽な程の能力を持つフランはスカーレットの当主に相応しいかもしれないのだ。
「その程度の腕で、私を壊せるかしら?」
あとは、フランの一押しが必要だ。未だフランには若干の躊躇が見られる。彼女の理性が破壊本能を抑えているとは驚く外ないのであるが、それではフランとレミリアのやり取りに決着は付かぬ。また、フランに求めることは狂気の封印ではない。狂気を発現してかつ対象のみを破壊する、そして狂気をそれのみに抑えるという統制である。スカーレットの当主を受け継ぐならばそれをやってのけてこそ。強く在るために必要なことだ。
「よく言うわ。私に勝てないから495年も封印していたくせに」
フランの対応は至って冷静に見えるが、レミリアはフランの怒りを感じている。怒りを抑えている仕草はほんの僅かであれど、その僅かなブレをフランの姉たるレミリアが見逃すはずもなかった。
「あら、そんな理由で封印されたと思っていたのかしら?」
「違うというの?!」
「ええ」
「どう違うと言うの!」
淡々としたレミリアのいらえに、フランは叫ぶように聞き返した。本当にあと一押しであるらしい。
「スカーレット家には相応しくない妹を、殺すに忍びず隠しておいたのよ。狂った妹なんて外聞の悪いもの、スカーレットには要らないわ」
冷酷に冷淡に、哂いながらレミリアは言ってのける。その姿は紛れも無く貴族の上品さを纏っていて、まさに奴隷を見下すような瞳でフランを見ていた。
クス、と嗤って見せた刹那、レミリアは何か紐が切れるような音を聞いたような気がした。
「そうやってアンタはいつも私を見下す」
フランの綺麗な羽は七色に輝き、ひとつひとつが輝きを競っているかのよう。
「いつもいつも。もう許さない」
瞳は大粒のガーネットのように輝いている。右手は部屋中の妖力を吸い取って青白く燐光する。
「死ね! 塵一つ残さず消えろ!」
フランは吐き捨てて、右手を握った。怒りと悲しみが入り交じったような泣き顔で、これでもかというほどに強く握り締めた。
レミリアが見たのはそこまでであった。直後にレミリアは吹き飛び、原子レベルにまで破壊し尽くされたからである。
後には、何も残らない。レミリアという存在なぞこれまで全くなかったかのように消え去った。
先にもがれたレミリアの右翼だけが崩壊寸前の部屋の隅で、フランを見守っていた。
運命を操るとて、紅い吸血鬼、その名を馳す。然るに妹に討たるる。能く運命を操るに、斯の如き運命に飲まるる。如何なる故あらん、と里人噂すと云々。