私は少し長く生き過ぎたんだってさ。

 皆集まっての夕食で聞いた幽香の言葉は、その言葉自体を皮肉ったような感じだった。
「一体、誰がそんなことを?」
 少し剣呑な雰囲気を帯びつつ、夢月が問う。怒る気持ち、わからなくはない。
「ああ、あの閻魔よ。こないだ、ちょっと彼岸まで遊びに行ったら、会っちゃってね」
「へぇ。閻魔ねぇ」
 人間ならいざ知らず、別世界の悪魔である私にしてみれば、閻魔なんて縁遠くて、あまりピンと来ない。
「確かに、閻魔の言いそうな言葉ではありますね」
 エリーの表情は、少し硬い。夢月もそうだ。
「それで幽香さまは、なんて言い返したの? あ、このシチューおいしい」
 とのんきな言葉を告げたのは、くるみ。
「ほんとにおいしいわね」
 今日のメイン担当は、夢月。メイド服を着ているだけあって、流石なものだ。私が着せたのだが。
「で、幽香は結局なんて言い返したのさ?」
 それに対する幽香の反応で、幽香の考えもわかるというもの。どうせ、叩いてきたんだろうけど。
「調子乗るな、ってちょっと懲らしめてやったわ。許せなかったのも事実だし」
「あの閻魔を懲らしめる、ですか」
 エリーは、驚きを隠せていない。死神だった彼女は、閻魔のことをよく知っているのだろう。
「どうせ、弾幕ごっこのルール付きだもの、訳もない話よ」
「幽香さまも、ルール守ることがあるんだねー、珍し、いてっ」
 軽口を叩いたくるみは、エリーにはたかれて、顔をスープに突っ込みそうになっている。
「でも、閻魔も面白いことをいうのね。命なんて私達の(あずか)り知らぬところなのに」
 サラダを口に運びかけたフォークを止めて、私はそんなことを答える。幽香はにやりとした。
「あら、幻想郷には運命を操るとかいう吸血鬼もいるわよ?」
「そんなもん、吸血鬼の能力を超えてるよ。そりゃ、ある程度はできるだろうけど、寿命みたいな大掛かりなものを完全制御するのは無理だって」
 それに答えたのはくるみ。後頭部を軽くさすっている。自分も吸血鬼なだけあって、答えが早い。
「そんなものでしょうか?」
 スプーン片手に聞くのはエリー。ちなみに、そのスープは私が作ったものだ。
「そうだよ。そりゃ、力を持ってくればそのうちできるようになるかもしれないけどさ。本人だって、自分の能力が完全なものじゃない、って自覚してるみたいだったし」
 くるみは時々、そのレミなんとか、とかいう吸血鬼のところへ遊びに行っているらしい、というのをそういえば思い出した。
「さしづめ、そんなことできるようになったら、妖怪に留まってることはなさそう」
 言いながら、私はパンを口に放り込んだ。
「幻月の言うとおり、そこまで至れば神ね、もう」
 幽香も、同じことを思ったようだ。それなのに、あえてあの紅い蝙蝠の話を出したらしい。相変わらず、試すのが好きだ。
「話戻すとさ、つまり幽香さまに神になれ、ってことかな?」
 くるみは幽香に向かって問う。フォークを幽香の方に向けようとして、またエリーに手をはたかれた。流石エリー、手が早い。
「さあ、あの閻魔、そこまで考えてないと思うわよ。もし考えているなら、いくらなんでももう少しまともなことを言うと思うわ」
「そんなもの?」
 私は、その閻魔とやらに会ったことはない。
「閻魔は、人の罪を減らすことだけを考えますからね。それが実行可能かどうかとか、そういうのは瑣末だとして、考慮外になってしまうのですよ」
「おおー、死神だけあって詳しいねー」
 くるみが感嘆の声を上げた。エリーはこれでも元死神。鎌を持っているのは、そういうことだと本人も言っていた。
「なるほど、そりゃ、また手落ちというかなんというか」
「閻魔だって神なのよ。 人や妖の考え、価値観は、彼女のような神にとっては路傍の石と同じようなもの。そこに気を配る必要は存在しないのよ」
「神、ねぇ」
 私は、ぶっちゃけるともう興味を失っていた。どうせ、そんなのは楽しい奴じゃない。喧嘩するにせよ、遊ぶにせよ、話の通じない奴はよくない。
「神、というのはそんなに凄いものなのですか?」
 これまで黙っていた夢月が、静かに問う。目線は、幽香へ一直線。
「それが神というものよ。さっき運命の話で話題にもなったけど、神というのは、得てして人妖の届かぬ高みにいる。それは彼の者たちが、自らの価値観を寸分たりとも揺るがせず、自らのなすべきことを執行できるからよ」
 幽香の説明は、よく的を射ていた。夢月もそれで黙り込んだところを見ると、どうやら夢月もだいたい納得したようだった。
「そんなので、神ってのは楽しいのかしら?」
「楽しくなんてないんじゃないかなぁ。だってさ、それって自分の意志すら干渉し得ないってことだもん」
 何があっても自分のすべきことをやる、ってのは、少なくとも私には無理だ。そんなの、生きてる意味がわからなくなる。
「でもね、幻月。そういう存在があるからこそ、世が成り立っているってこともあるわ」
「厄神は、自分が嫌われ、また傷付くのをわかっていながら、それでも厄を集め続けてくれる。だから、この世が厄に塗れることもない。神っていうのは、そういうものなんですよ」
 エリーは、どこか少し遠くの方を見ているようだった。死神だった彼女には、思うところもあるのだろうか。
「ふーん、別にそこまでしなくたって、夢幻世界は回ってるけど」
 ね、夢月、と話を振ると、ちょっとたってから、ですね、と帰ってくる。いつもより、少し反応が遅かった。
「それは、あなたたち以外に殆ど住人がいないからでしょう。この世は、もっとずっと複雑にできてるのよ」
「そうなんだろうね」
 もはや、私の興味はそこにはない。どうせ、そういう面倒な神という存在と関わりを持つことなんて、そうそうないだろうし。
「ま、こんな下らない話はここまでね。私たちにとっては、神なんてどうでもいい話だわ」
「全くね」
 大いに賛成。
「ところで、今日のスープ担当は誰だったかしら?」
 幽香が、スプーン片手に周りを一瞥した。
「今日の夕食当番は、幻月さんと夢月さんだったよ」
 すぐさま答えたのはくるみだ。
「私だけど、どうしたの?」
 隠すこともないから、名乗り出る。幽香の表情が、なんとも言えないのが少し気にかかるが。
「このスープ、少し塩が多すぎたんじゃないかしら?」
「え?」
 私も口をつけて……。たしかに、すこし塩辛い。どうにも、今日は失敗だったようだ。
「そうだね。次は頑張るよ」
「あら、珍しいわね、幻月が"頑張る"なんて」
 幽香は瞳を少し細めた。
「私だって、おいしいご飯が食べたいもんね。いらなきゃ一人で食べるよーだ」
 言い返して、満面の笑顔を返してやった。

 すぐに、私はもう一度ここでの会話を思い出す羽目になった。いやはや、妹とはわからないものだ。





 長く生き過ぎたことが、それだけで罪になる。閻魔はそういうことを言ったらしかった。
 それを幽香さんや姉さんが気にしているかと言ったら、そんなことはないだろう。あの二方は、閻魔如きの言葉に惑わされるようなお方ではない。むしろ、それを笑って済ませる。そういう御仁だ。
 でも、それはそれ。だからといって、そういう発言が取り消されるというわけでもないのだ。
「だから、わざわざこんなところにまで来たのですか、あなたは」
 私と対面する少女は、幽香さんよりも少し濃い緑髪をひとなでしながら、私を睨みつける。
「そうです。仮に、他の皆が許したとしても、私には許せません。あなたが閻魔か何かは知りませんが、あなた如きに、私たちの生活を壊すだけの権利は、どこにもないのですから」
「私には、あなた方の生活を壊すつもりはありません。ただ、私はあなた方の死後について、助言しているだけに過ぎませんから」
 平然とそう答える閻魔。
「ならば、幽香さんはどうすればよいというのです? 死ね、と言うのは、私たちの生活を打ち壊すことには他ならないと思いますが」
 私はめいいっぱい睨み返す。
「そこは、私の関知するところではありません」
「どういうことです?」
「私は、風見幽香が地獄に堕ちぬため、その障害となっているものを指摘したにすぎません。それを如何に排除するかというところは、私の関知する所ではないのです」
 閻魔は顔色一つ変える事がなかった。
「まして、私はあなたやあなたの生活については、述べてなどいないし、知るところではない」
「何、ずいぶん無責任じゃない、あなた」
「それは、私ではなく己に向けるべき言葉でしょう。あなた方は、あまりにも自らの生活を考慮しない。少しでも、善くあるために行動したことがあるのですか」
 表情一つ変えない無機質さ。じろり、と睨みつける。
「何が悪で何が善か、なんてそう簡単に決まるものではないわ。それなのに、善くあれ、というのもおかしくない?」
「いいえ。善悪とは明確なものです。だから、私がこうしてここにいる。あなたは、それがまだわかっていないだけなのですよ」
 どこまでも傲慢だ。
「神如きが、何を言うのよ。雇われ閻魔のくせに」
「仏神すらも貶めるあなたの言行、聞き捨てなりませんね。あなたは、周りの心配をするよりも先に、あなた自身の心配をすべきでしょう」
「そうやって、あなたは何人を地獄へと堕とし、どれだけの人を傷付けたのかしら」
「私はあくまで、あなた方の心配をしているのです。そもそも、私が地獄に堕とすのではない。あなた方が、その行いによって堕ちるのです。この世は因果応報、そこに私たち閻魔の私意は介在しません」
 どこまでも会話がかみ合わない。まるで、丸太にでも話しかけているかのようだ。
「そんな言い訳が通用すると思うの? あなたは確かに、幽香さんに対して、長く生き過ぎた、と言った。そうして早く死ぬことが善いだなんて、そう言うのですか? 私たちの安穏な生活を壊すことが、衆生済度を目的とするあなた方の言うことですか?」
「それが、衆生を(すく)うために最もよい手段である、というのであれば、かかる言も成しましょう。それが、我々閻魔に為し得る善行です」
「善行々々、とばかり言うけど、あなたはどう思うのです? あなたは、それでよいと、そう考えるの?」
「私に何の問題があるというのです。私は閻魔です。私の言葉には嘘も間違いもありえない」
 余りの不遜に、私は呆れるしかない。
「あなたは、あまりにも私たちの痛みを知らなすぎる。私たちの心を知らなすぎる。そのような態度でいるあなたは、許し難い。一度、あなたも痛みを知る必要がありそうです」
 もはや、彼女に言葉は通じないだろう。あとは、直接わかってもらうしかない。
「あなたこそ、世の理を何一つ解さず、徒らに自分の益をのみ言いたてるその身勝手さ。ただ心の赴くままに生きるようなその態度では、必ず身を滅ぼします」
 私が身構えたのにも、彼女は全く構わない。
「あなたはあまりに幼すぎる。姉から独立し、自らの世になすべきを知る。これが、あなたにできる善行です」
「うるさい! 姉さんは関係ないでしょう!」
 もはや、話を聞くまでもない。私は地面を蹴ると、閻魔の首めがけて吶喊した。
「そうやって手を出すのは、あなたがあなたなりに思うところがあるからでしょう」
 しかし、それは難なく躱されてしまう。しかし私だってその程度で勝てるとは思っていない。その勢いのまま、回し蹴りを後頭部目掛けて放つ。当たれば、首くらいは飛ばせるはずだ。
「しかも、スペルカードルールさえ守らないとは、全く以て身勝手ですね」
「そんなルール、隙間女が何の断りもなく適当に決めただけのものじゃない。そのようなもの、何の意味があるの?」
 姉さんや幽香さんだってそのルールには必ずしも賛同してはいない。それなのに、あれは今やすっかり幻想郷唯一の問題解決法になってしまっている。どだい、そこがおかしいのだ。
「それでも、ルールはルールです。それを守らない者は、ただの乱暴者に過ぎない。あなたは、それをわかっていますか?」
 話しながらも、私は絶え間無く攻撃をやめなかった。右腕で心の臓を抉り、左腕で腰骨を打ち砕き、右脚で腎の臓を圧潰し、左脚で頸椎を叩き折らんとした。しかし、それらの攻撃が彼女へ通用することはない。この閻魔は、その場から微動だにせず、私の攻撃を躱し、受け、無傷のままそこで話し続けるのだ。
「納得してもいないルールを、私が守る必要があるとでも? そもそも、無理やり上から押し付けたそれは、ルールといえるのかしら?」
 と告げながら、私は彼女への攻撃を続ける。一向に当たらない。
「幻想郷は、すでに弾幕決闘こそが紛争解決の手段となって久しいのです。それなのに、あなたは今なおそれを否定するのですか?」
「するわ。だって、そんな決まり、誰も得をしない代物じゃない」
「そうでしょうか。あなた方は、これのおかげで、気兼ねなく異変を起こすことができるようになった。罪をなさずに。それが得ではないと?」
「そんな遊戯ごときで、満足できるわけないでしょう。我々は、もっと殺伐としているものなのよ。呑気に染まってる巫女とか隙間女はいざ知らず、私たちは人間を殺してなんぼよ」
「その割に、あなたがたも、巫女や魔女に甘いでしょう。それは、矛盾以外の何ものでもない。結局、やっていることは弾幕決闘と変わらない。それなのに、都合の悪い時のみ、弾幕決闘法を非難するのですか」
「うるさい!」
 ああいえばこう言う、というのはまさにこのことなのだろう。
「先からごちゃごちゃと、何様のつもりなの?! まるで、自分がこの世の体現だ、とでも言うみたいに」
「閻魔とは、いえ、神とはそういうものです。我々のなすことは、全てが正しい。そういうものなのです。神に逆らうというのは、この世に逆らうということ。それを、あなたも理解すべきです」
 当たらない。すべての攻撃が、まるで閻魔を避けていくかのようだ。
「あたれぇっ!」
 心の臓を捕らえた渾身の一撃は、手にある笏によっていともたやすく叩き落とされる。逸らされる、というものですらない。それにしては、一撃が重すぎた。
「妖怪が神に背くということそのものが、無謀というものです。ルール上ならいざしらず、それを超えて私に勝とうとは、無駄ですよ」
「その傲慢、打ち砕いてやるわ」
「あなたはあまりにも世を知らなすぎる。妖怪も人間も、神に勝つことはできない。"そういうものになっている"のです」
「本当にそうかしら?」
 喋っているその間、少しも攻撃の手を緩めないにも拘わらず、閻魔はまるで傷つくことがなかった。
「ならば、私がその認識を尽くひっくり返してみせる。閻魔を殺して、地獄を文字通り火の海にしてみせるのも、また一興かしらね」
 その言葉に、初めて閻魔は私の方を一瞥する。ようやく、意識をこちらに向けた。そういった様子だった。
「おや、そこまで言うのですか」
「あなたは、私の生活を破壊する敵だもの。あなたと話して、閻魔も是非曲直庁も、全てが私達の敵であるということがよくわかったわ」
「つくづく、今のことしか考えないのですね」
「未来のことを述べるなんて、鬼が笑うわ」
 私は鬼ではない。悪魔である。だが、同じようなものだ。
「今この時を、楽しく生きる。それが大切だもの」
「そのために、この世の仕組みに背くと?」
「そのためならば、この世なんて壊してしまっても構わないわ」
 私と姉さんと幽香さんが楽しく生きられれば、それでいいのだ。
「そうですか」
 その言葉は、どうやら閻魔のどこかに触れたようであった。閻魔が初めて、笏を振る。それは攻撃に入っていた私を狙ったものである。明確な反撃。
「ならば仕方ありません。この世を害すとあれば、断罪せざるを得ないでしょう」
 閻魔が、動いた。閻魔の背後に卒塔婆がずらりと並ぶ。そしてすぐさま、私へ向かって降り注いだ。





「へー、エリーってそんなこともしてたんだね」
 今日の夢幻館には、珍しくエリーと私の二人しかいない。くるみは、吸血鬼仲間のレミ……なんとかというやつの所に遊びに行ったらしい。夢月も、見当たらないから外出しているのだろう。
「そりゃ、死神(アンクゥ)ですからね、私も」
 エリーの出身地は、ブリタンニアはドゥムノニアというところだそうだ。そこで生まれて、まもなくアンクゥになって、はるばるこっちまで流れてきたらしい。アンクゥというのは、その地域の死神の名前で、特徴的な逆刃の鎌は、その象徴だとか。
「でも、そのブリ何とかってとこで死神だっただけで、別にこっちにまで来て死神やることもなかったんじゃないの? しかも、幽香に拾ってもらったあとでしょ、それ」
「そうなんですけどね」
 エリーを拾ったときは私も覚えている。400年くらい前だったか、500年前だったか。まだ結界もできる前で、幽香もかなり自由にあちこち動き回っていたころだ。気まぐれで幽香についていったら、船に乗ってはるばる大陸まで行くハメになった。しかもその出かけた先の蘇州府呉江でエリーに突然襲われ、いろいろあって結局幽香が連れて帰ってきたのだ。大陸から死神なんて拾ってきてどうするんだ、って当時は思ったものだ。
「こっちに帰ってきてからすぐに、"お迎え"やらないかとお誘いが来ましてね。それで、比較的暇だったんで、幽香さまにもお許しもらってしばらくやってたのです」
「初めて知ったよ」
「いまでも時々その頃の同僚とか訪ねてくるんですよ。また死神やらないかーって」
「死神やらないか、って凄い誘い文句ね」
 別に間違ったことは何一つ言っていないんだけど、さ。
「私達からすりゃ、ただの職業ですからね。死神」
 そりゃそうだ。
「しかし、私が働いてたのを幻月さんが知らなかった、ということを初めて知りましたよ、私」
 一緒に住んでいるのに、驚くほど相手を知らないものだ。ちょっと驚き。
「でも、そういう素振りは特になかったよね?」
「朝に出て夜には帰ってくる、という妖怪にはあるまじき規則的な生活でしたからね。定時も決まってたので、夕飯はいつも夢幻館帰ってきて食べられましたよ」
「あー、私より早く起きてどっか行って、夜にはどこかから帰ってくるから、私は"門番大変なんだろうなー"くらいに思ってたのね、きっと」
「ほんと、幻月さんって他人に興味ないですよね」
「あるわよ。幽香と夢月はいっつもどうしてるのかな、って」
「その二人だけじゃないですかぁ」
 エリーの呆れたような顔。
「でも、エリーがあの閻魔について妙に詳しいのも納得したわ。そこで付き合いがあったのね」
「そうなんですよ。それに、向こうも雇われなので、何かと話が」
 雇われ?
「ちょっと待った、雇われ?」
 閻魔は神だ、と先にエリーが言っていた。それが雇われ?
幻想郷の閻魔(ヤマザナドゥ)である、四季映姫は、もともと地蔵像ですよ。道端にたってるお地蔵さまから登用されて、閻魔になってるんです。それこそ、500年くらい前の話じゃないですかね」
「なにそれ、閻魔ってそういうもんなの?」
「私が聞いた限りですが、なんでも是非曲直庁の人手不足から、500年くらい前に地蔵像を閻魔に大量登用する改革がされて、四季さまもその時に登用されたらしいのですよ」
「つまり、閻魔とか言いながら、ただの石地蔵ってこと? しかも500才かそこらの」
「え、まあ、そうなります、かね」
 エリーの表情が、失言だった、と言っている。なんだ、それで私が閻魔殺しに行くとでも思ったのだろうか。
「要するに、はるかに年下の分際で、幽香に向かってそういうことを言った、ってことね」
「あ、ええ、そうです、けど」
 エリーが見るからに焦っているのがちょっとおもしろい。
「そっかー」
 と言いながら、エリーをもう少し眺めてみる。ちょっとうろたえてる。
「で、エリーは、それで私が閻魔襲うとでも思った?」
「え?」
 というわけで、ネタばらしタイム。
「なんか焦ってるみたいだけどさ。別に、私はそんなことしないから安心していいよ」
「そうですか?」
「もし本当に幽香が怒ってるなら、その時点でコテンパンにしてるでしょ。そうしてないってことは、所詮その程度の話だったってことだしね。なら、私はほっとくだけだよ」
「はあ」
 エリーの得心していなさそうな表情。
「なんか納得してない感じだなぁ」
「いえ、てっきり幻げ……」
「あ、幻月さんにエリー、ちょっといい?」
 高めの声が割り込んだ。
「あら、くるみじゃない。どうしたの?」
「ねえ、夢月さん見た?」
「夢月?」
 くるみが誰かの居場所を問うとは、また珍しい。というか、この館の誰もが、誰もに関して不干渉。それが、夢幻館流。
「特に行き先は聞いてないわね。エリーは?」
「いえ、特には……」
 ふっと感覚を鋭くしてみるが、どうやら夢幻世界にはいないらしい。となると、おそらく幻想郷のどこかだろう。外に出た可能性もないではないが、八雲の奴からいらぬ恨みを買う欠点を考えれば、夢月が勝手にそういうことをしたとも思えない。
「でも、どうして?」
「いや、湖の前であそ……門番してたら、魅魔が来たんだけどさ」
「あいつも暇だね」
 悪霊として、もうちょっとやることがいろいろあるだろうに。
「そりゃ、お化けには試験も何にもないもんね」
 当たり前だ。妖怪にだってない。
「で、その魅魔がどうしたの?」
「つい先ごろ、中有の道から西に飛ぶ夢月を見たんだが、どうしたんだ、って」
「中有の道……?」
 また随分と時宜の揃った話である。ちょうど今、閻魔の話をしていたところだったわけで。
「エリー、中有の道から西に行ったら、何がある?」
「そりゃ、もうあとは、三途の川くらいしかないんじゃないですか?」
「夢月は三途の川には特に用事なんてないと思うけどね」
「そうでしょうねぇ。閻魔くらいか、あんなとこにいるの」
 エリーと二人でうーん、と唸る。どこに行ったかは、わりと気になる。
「そーえば、さ」
 のんきそうにくるみが、私の方を向いた。
「こないだ、閻魔の話したじゃん。久しぶりに幽香さまが来た時」
「そうね。なんか、幽香さまが言われたって」
「"長く生き過ぎた"とかそんなことを言われたらしいわね、幽香」
 本当に無礼な話だ。
「あの時、夢月さん、なんて言ってた?」
「ん?」
 くるみに問われて、思い返してみる。
「そういえば、なんて言ってたっけ?」
「あの時は、口数が少なかった気がします」
 エリーも、特に思い出せないようだ。
「もともと、すごくしゃべるって方でもないしね、夢月は」
「でも、普段ならもう少し話に参加した気がするよ。だって、幽香さまがいたんだよ」
 この150年くらいは、幽香がこの夢幻館にいるのも稀になってしまった。下手をすると、1年くらい平気で帰ってこないこともある。なんでも、八雲紫に警戒されるから、ということらしい。
 だからこそ、幽香が帰ってくるとみな盛り上がるのが、普段である。
「そういえばそうねぇ……」
 少し嫌な予感がしてきた。あの妹は、一見おとなしそうなくせに、動きが読めない時がある。
「ちょっと、行ってくるわね」
 翼で一撃ち。一気に空へ躍り出た。
「……え、どちらに?」
「閻魔んとこ行ってくるねー」
 エリーとくるみとが、みるみる小さくなっていく。呆然としたエリーと、納得した表情のくるみとの対比が、ちょっとおもしろかった。





 なるほど、神は神であった。
 夢幻世界に殴りこんできた巫女や魔法使いよりもはるかに強い。私の手には、とても余る相手であったようだ。
 もとより、攻撃が全く通用していなかったところでも、わかる話ではある。だから、今更と言われればいまさらなのかもしれない。
 それでも、私には許せなかった。たとえどんなに力量が離れているとわかっていても、私には手を出さずにはいられなかった。
 ただそれだけの話。

 この夢幻館というのは、我々の安住の地だ。私達姉妹の、くるみの、エリーの、そして幽香さんの。
 それぞれ、いろいろな物を抱えている。一時は幻想郷を席巻し、そのためお尋ね者にさえなりかかった吸血鬼。ただひたすらに地獄へ人間を送り続けることだけが仕事の死神。はるか昔から幻想郷で大きな力を持つ孤独な大妖。そして、住む世界の違う私達。本当ならばそれぞれが殺伐とした世界に生き続けなければならなかっただろう我々。
 それが、こうして毎日のんきに過ごしていられる。それが、この夢幻館。そういう場を作ったのが、幽香さんなのである。
 だから、私達は一緒に暮らしている。幽香さんを館の長として、納得している。傲岸不遜を絵に描いたような姉さんですら、夢幻館で暮らしているのも、そういうことなのだ。

 だから、閻魔が許せない。そういう生活を、あの閻魔は一言で斬って捨てた。
 それは、今の私達を全否定するに同じなのだ。

「別に私もあなたを抹殺したい、と思っているわけではありません。あなたが抵抗をやめ、非を認めるというのならば、すぐにでも応じますが」
 とはいっても、実質的に私が彼女に与えたダメージは、彼女が攻撃を初めてからも、ごくわずかにすぎない。一方の私は、もはや防戦一方に近いようなところがある。倒すよりも、倒されないことが重要となってしまっている。情けない話だ。
 姉さんであれば、このような無様な姿を見せることなぞなかったはずだ。偏に、私の力不足。
「それでも!」
 戦わなければならない時がある、今がその時だ!
 私は、ありったけの力を振り絞って閻魔へ肉薄した。
「本当に、懲りないですね。自殺の志願も、地獄に堕ちる十分な理由となりますが?」
 しかしそれも、閻魔の笏によって払い落とされる。さらに、接近した私へ閻魔の背後から大量の卒塔婆が打ち出される。たちまち私は打ちのめされ、また吹き飛ばされた。
 そのまま浮いているだけでは、ただの的である。私は、痛みを訴える体に鞭打って、場所を動く。動いた直後に、私の右を卒塔婆が掠めていった。
「地獄も何もかも、なくなれば変わらないわ!」
 数多く飛来する卒塔婆の一つを引っ掴む。顔色一つ変えず、そこに立っている閻魔へと投げつける。
「一つ、聞いてもよいですか?」
 閻魔はその卒塔婆を見もせずに、笏で払い落とす。そして、その十倍以上の卒塔婆が私へ降り注ぐ。
「とうとう非を認めたの?」
「何を言ってるのです。あなたは」
 真顔で、そう聞いてくる。皮肉の一つにすら返さないのが、この閻魔であるようだ。
「閻魔は、閻魔である限り常に正当です」
 そして、真顔でそういうことを言うのだ。
「あっそ」
「あなたは、本当に是非曲直庁を、地獄を、天界を、滅ぼせると思っているのですか?」
 閻魔が手を止める。卒塔婆が、数えきれないほど後ろに浮いている。
「私の邪魔になるならば、滅ぼします」
「あなたは、一人でこの世界を変えられる、とでも?」
「変えます」
 閻魔は、私を睨みつけた。これまでの余裕の表情とは、少し雰囲気が異なって見える。
「あなたの意思は聞いてません。できると思っているのか、と問うているのです」
「できるできないで話すとは、閻魔も面白くのない生き物ですね」
 精一杯、睨み返す。
「できるできない、ではなく、やるやらない、という問題です。だから、私はやる、とだけ言いましょう。その可否を論ずるのは、無益なことです」
「本当にあなたは先を考えぬのですね。物事の可否を予測してこそ、我々は生きていくことができる。そうやって少しでも生存確率を高めていく、そういうものでしょう」
「あら、閻魔のあなたでもそのようなことを考えるのですね」
 超然とした神である閻魔から、生存確率だとか、そういういかにも"生物"のような言葉を聞くとは、ちょっと意外だ。
「私も、ずっと閻魔だというわけではないですからね」
 そう言って、彼女は笏を持ち直した。
「そのように、いつまでも自らの力を恃むのですね」
「なさねばならぬ、ですよ」
「そうですか。やはり何度聞いても、私とは相容れませんね」
 そういった閻魔の表情は、しかし平静と殆ど変わらない。
「一人で世を変えるなぞ、傲慢も甚だしいところです。そのような力が妖怪一匹に、ありはしません。神ですら、世を保つものであり、変えるものではないのですから」
「どうして、そう断言できるのです」
「世の中が、そういうものだからです」
 言い切る閻魔。それと同時に、大量の卒塔婆が動き始める。
「それを噛み締めながら、地獄で生きるといい」
 その量は、今までよりもずっと多い。それは、これまでの攻撃からも少し異質。
 その向こうに見える閻魔の表情に、ほんの少しだけ感情がにじみだしていた。

 それからものの数分で、私の体はズダボロになっていた。
 全く歯がたたない。卒塔婆は、数が多いというだけではない。それを砕けば、砕いたその破片一つ一つが私の体に襲い掛かり、削り取っていく。
 そのうえ、先ほどまで少しも動かなかった閻魔が、卒塔婆の群れを背に肉薄してくる。その一撃の重さは、とても軽視することが出来ない。
 と言っている間にも、閻魔は正面から笏を振り下ろす。慌てて右に躱したが、その風だけで左腕が紅に染まる。暴力的な威力だ。幽香と本気で喧嘩した時のことを、思い出す。
 すでに数度のダメージを受けた左腕は、もはや使い物にはなるまい。魔力すら通らないし、どんな仕組みかしらないが、回復もいまいちうまくいかない。
 そんなことを考える暇さえ、殆ど無い。少しでも同じ場所にとどまれば、私は卒塔婆によって串刺しになってしまう。卒塔婆に付けられたかすり傷も、随分と治りが遅くなっている。よほど徳の高いものなのだろう。そんなものに串刺しにされれば、いくら私でも消し飛んでしまうかもしれない。
 今更閻魔の恐ろしさにおののきながら、私は攻撃を避け続ける。ちょっとした合間に飛ばす弾は、尽く卒塔婆に打ち消され、閻魔の元へ届くことはない。
 いささか勝負は絶望的だ。
 閻魔の奴が、突然攻撃を苛烈にした理由はまるでわからない。きっと、私の言葉のどこかに、引き金はあったのだろう。
 しかし、それが何かはわからない。わかれば、閻魔の心を抉れるかもしれないのに――。

 一瞬のその思考が、命取りであった。
 ほんの少し、瞬きをするよりも短い遅れ。それが、ギリギリのところを支えていた私の防御を、打ち崩す遅れだ。
 目の前に展開する157本の卒塔婆。それは、巧みに私の動きを封じながら、急所を狙って迫っている。ざっとその場で計算する。17本を撃ち落とし、12本躱しながら右へ動いてさらに9本を撃ち落とす。右腕を犠牲にすれば、さらに4本躱せる。
 だが、駄目だ。どうしても3本残ってしまう。どのように避けても、最後の3本が私の急所を刺し貫く未来しかない。

 やはり、ここまでか。世の中を変える、とそう言ったのに。相手に傷ひとつ付けることができなかった。
 悔しい。幽香さまの仇を取れなかったのが、あまりにも悔しい。
 せめて、一太刀くらい浴びせられたら――











 卒塔婆というのは、所詮木の板である。どんな奴が使ってようが、どんなものが書いてあろうが、どれだけ力がこめられていようが、木の板は木の板である。
 よ、っと右手を向けて、エネルギーを放出する。一帯をなぎ払う極太レーザー。元はといえば、あれだって私の十八番だったのだ。気づかぬ間に幽香に真似され、さらに里の魔法使いまで同じ手を使うようになった。まあ、別に構わないんだけど。パチモン如きで私を揺るがせられるはずもない。
 極光が辺りを覆い、なんかごちゃっと束になっていた卒塔婆が、まとめて消し飛ぶ。緑髪で、妙にお固い服を着た少女がこちらを向く。どうやら、今の今まで私の存在に気づかなかったようだ。
「やあ、元気?」
 とりあえず、そっちはどうでもいいだろう。問題は、目下緑の少女の目の前にいる、メイドだ。
「姉さん……」
 右腕は、だらりと垂れ下がっていて、殆ど千切れかかっている。全身に傷を負って、せっかくのメイド服はもはや紅い部分の方が多い。
「ほら、無茶するから」
 ぽん、と手のひらを頭の上に乗っけてやる。何を考えてこの馬鹿な妹がこんなことをしでかしたのかは知らないけれども、とにかく無事でよかった。
「ごめんなさい、姉さん」
「謝ることじゃないよ。あとで、お話きかせてね」
 そう話かけると、夢月の瞳にみるみる水滴が現れ、それからふっと気を失った。気合で浮いていたのだろう。よいしょ、とお姫様抱っこする。それが一番抱えやすい。背中は、羽のじゃまになる。
「さて、そこの緑髪」
「ようやく、お話が終わりましたか」
 服には埃一つついていない。なるほど、神が圧倒的だというのはこういうことなのだろう。夢月だって、幻想郷内では相当の実力者に区分されるはず。その夢月の手に負えなかった、ということは、やはり抜群なのだろう。
「よくも、私の大切な大切な妹を、こんな目に遭わせてくれたわね」
「そちらから仕掛けてきたのですから、私にそのことについて文句を言われても困ります」
 やっぱり、夢月から行ったらしい。表には殆ど出さなかったくせに、やはり幽香へのあの言葉が、よほど腹に据えかねたのだろう。
「元はといえば、あなたの言葉が原因でしょう。違うかしら」
「それは、そこの彼女も言っていましたね。ですが、私は恨まれる筋合いもありません。私は、あるべき姿をそのまま述べただけですから」
 あー、やっぱり面倒な奴。話を聞いた時の直感そのままだ。
「ま、私はそこはどうでもいいからね、特に何も言わないよ」
「そうですか。それでは、そのままお帰りになりますか?」
「おや、うちの妹を先まで殺す気マンマンだったのに、私の登場と見るや、サラリと帰してくれるの?」
「私の仕事は、地獄に落とすことではありませんから」
 笏を持って微動だにしないその姿は、確かに閻魔神たるに相応しいように、私には思える。
「でも、夢月を地獄へ落とそうとしたんじゃないの?」
 少し意地悪な質問をしてやる。そうすると、閻魔はほんの少しだけ目を見開いた。
「そうですね、確かに。しかし、それは彼女の言動があまりに極端だったからです」
「ふーん」
 矛盾している。そして、説明になっていない。閻魔でも、そういうことがあるらしいというのがちょっとおもしろい。
「で、それでも帰してくれるの?」
「構いません。説教を聞きたい、というのであれば別ですが」
「興味ないわ」
 説教なんてくそくらえだ。どうせ、ろくな話をしないに違いない。
「あ、でも一つだけ」
 と、ちょっと思い出したことがある。
「なにかしら?」
「一つだけ聞いてもいいかしら」
「構わないですよ」
「あなた、昔は道端のお地蔵さんだったんでしょ? それが閻魔になって、問題ないわけ?」
 先ほどエリーに聞いた話を、そのまま投げかけてみる。
「問題とは?」
「地蔵菩薩のなすところは、衆生済度だったと思うけど、閻魔のやってることとは噛み合わないんじゃないの?」
 前に幽香がそんなことを言っていた。なんでだったか忘れたが、どっかからお地蔵さんを拾ってきて、幽香に怒られた時の話だろう。何年前のことだか。
「だって、閻魔がやるのは人の裁定であって、人を(すく)うことじゃないよ。地獄へ落とすのが仕事の閻魔と、地獄から引き上げる地蔵と、やってることが真逆だけど」
「そのことですか」
 落ち着き払って、いや、落ち着き払ったように、閻魔は返答した。その笏がわずかに震えたのを、私は見逃さない。
「本当の地蔵菩薩でなかったにしても、地蔵像に求められるのは、そういうご利益。ならあなたも、また衆生済度が願いだったんじゃないの?」
「そうですね」
「それが、閻魔になって叶ったの?」
「現実に、今でも地獄へ堕ちる者は絶えません。ゆえに、叶っているとはいえないでしょう」
「そりゃ、堕ちるやつが誰もいなくなる、なんてことはありえないんじゃないの?」
 私だって悪魔だ。きっと、閻魔だとかそーいうやつには嫌われるような存在。間違いなく、死ねば地獄行きに決まってる。だいたい、私達にとってすりゃ地獄が故郷みたいなもんだし。
「さて、私はわかりません。ただ、私は目の前にある善行をこなしていくだけです」
「ふーん」
 妙に七面倒臭い閻魔であるのは、その理由なのか。本当に、幻想郷で出会わなくてよかった。
「でもさ、それでも結局最後に裁くのはあんただよね。それは、地獄にいるやつを救うわけじゃない。むしろ、叩き落としてるんだよね。本来地蔵は、いかなる道においても、衆生を救済する。そういうものだったわけだけどさ」
 六地蔵は六道にあわせて六らしい。一つ持って帰ってきたのに幽香が怒ったのは、そういうことだったはず。当然、地獄道においても地蔵ならば救済をする。しかし、閻魔は罰する側だ。
「地獄に落ちたものも、ずっと地獄にいるわけではありません。また別の道へ輪廻する」
「それで、自分の前に戻ってきたら説教? 効果がないかもしれないのに」
「それが、我々閻魔にできる善行ですから」
「へー」
「閻魔には(すく)う力がある。それならば、そうするのが当然でしょう。ただの地蔵とはわけが違うのです」
 おや、そこまで言うか。ちょっと意外だ。どうにも、この閻魔は見かけ以上に、感情的らしい。何か、夢月が余計なことでも言ったのだろうか。
「んじゃ、地蔵から閻魔になって、少しは助かった者が増えたの?」

 答えは帰ってこなかった。







「夢月も、ホント無茶ね。長く一緒にいるけど、こうなるとは思わなかったわ」
 怪我した夢月を連れて帰るには、ちょっと夢幻館は遠すぎた。だから、緊急的に太陽の畑へ寄らせてもらっている。
「これでも、夢月って結構過激なのよ。前に巫女が夢幻世界へ踏み込んできた時も、"人間の命なんか、なんとも思っていないのよ"、なんて平気で言うし」
「あら、姉のいいなりでメイド服着てるのとは大違いね」
 太陽の畑の一角にたつこじんまりとした一軒の洋風家屋。それが今の幽香の家である。故あって、普段は近づかない場所なので、随分と久しぶりだ。
「この子、これで結構メイド服気に入ってるらしいのよね。よくわかんないけど」
 なんとなく気分で押し付けてみたら、なんかそれをもう年単位で着ている。今回もだが、時々妹の考えが読めない。
「あら、そうなのねぇ。でも、その前に割烹着押し付けてた時も、さらにその前、絣の着流しで男装させてた時も、結構長く続けてたわよね」
「そういやそうね。ま、夢月にもなんかいろいろ考えてることあるんでしょ」
「そうね」
 幽香が、少し含みのある笑みをして、紅茶をついでくれた。ちなみに、夢月は今も幽香の寝室で寝ている。主人の寝室で寝るとは、大層な御身分のメイドだ。
「それでさ」
 それを機に、私は少し話題を変えることにした。
「夢月がなんで閻魔を襲ったか、ってこと。幽香もわかってるんでしょ?」
 問うてみる。幽香は、無言のままティーカップを傾ける。
「みんなさ、幽香を大切に思ってるんだよ。くるみもエリーも夢月も、もちろん私だって」
「ありがたいわね。本当に」
「生まれも年齢もみんなバラバラの私達がさ、どうして夢幻館で一緒に暮らしてるか、って話だよ。みんな、幽香が好きだからあそこにいる」
 幽香は、ティーカップの水面を眺めているようで、表情が読み取れない。
「だからさ」
「その先はわかるわ。でも、それは言っても仕方ない」
 遮るように、透る幽香の声が私を遮った。
「私も、夢幻館の皆が好きよ。皆といると楽しいもの」
「それじゃ」
「でも、世間もいろいろあるわ」
「幽香が世間を気にするの?」
 一番似合わない言葉だと、私は思う。
「そうねぇ。私一人なら構わないけど。そうでもないでしょう」
 幽香は初めて私の方を向く。相変わらず、ルビーのように紅い瞳が、私を突き刺す。
「考えてもみなさい。弾幕決闘法に署名してない吸血鬼と死神と悪魔二人、それに曲がりなりにも幻想郷屈指の妖怪が一緒に暮らしていたら、周りがどう思うかって」
「幻想郷の妖怪連中はそんなこと気にしないよ」
「そうね、妖怪連中の殆どは気にしない。でも、紫はどうかしら?」
 八雲紫。幻想郷の管理人。そして、いざというときの抑止。そんな、妖怪の手に余るようなことをやってのけている、大妖だ。
「心よく思わないだろうけど、だからどうしたの?」
「そうやって紫との関係を悪化させるのは、幻想郷全体にとって決して良い影響を与えないでしょう」
「別にそんなのどうでもいいよ」
 幻想郷全体、なんて私達のためならどうだっていいじゃないか。私はそう考える。幽香が、そのように考えないのもわかっているけれど。
「よくないわね。私達は、幻想郷という場所に住んでいる。気楽に過ごせているのも、こういう環境を作った紫のおかげよ」
 幽香は、こういう時、妙に冷静だ。普段は強いやつをいじめて遊んでいるのに、いざとなると慎重そのもの。思慮の深さを見せてくる。
「それに、私は紫とも古い付き合いよ。それこそ、あなたよりも昔から、紫とは悪友なのよ。あんなのでも、そういう関係は壊したくなくてね」
「ふーん」
 もう、いうことはない。幽香の決意は、やはり堅い。
「そっか。じゃ、もう誘わないよ。でもさ、夢月が幽香のために怒って、ああやってボロボロになったことくらい、覚えておいてくれるとうれしいな」
「勿論。夢幻館も、私にとって大切な故郷だもの」
 ここに来て初めて、幽香が笑った。含みのある微笑でなく、芯からの笑顔。
「そっか。じゃ、次帰ってきた時には、またごちそう用意して待ってるよ」
「美味しいスープを期待してるから」
 げ、ここにきてそこに踏み込んでくるか。
「ふん、頬が床に落ちないように気をつければいいよ」
「楽しみにしてるわ」
 幽香の冷やかし気味の笑いが、話の一段落。カップを置いて、私は立ち上がる。
「あら、もう帰るの? まだ夢月は寝てるけど」
「まさか」
 幽香の言葉を一笑に付してやる。
「久しぶりに邪魔者もいないし、ちょっとやろうよ!」
 言って、親指でドアの方を指さした。
「いいわね。随分やってないものね。弾幕決闘法でも試してみる?」
 途端、幽香も不敵な笑顔で立ち上がった。ほんと、さっきまでの真面目な顔はどこにいった、という感じである。
「冗談。そんなつまらんもの抜きだよ。昔ながらの、無法でいこうよ」
 そんな制限ルール、私達には不要だ。
「ふっ、わかったわ。死んでも文句なしよ」
「あたりまえよ」
 ドアを開ける。一面のひまわり。季節外れのひまわりが、一帯を黄色く染めている。風に応じて、ぞうぞう、と音を立てた。
「早くしないと、先制で家ごとやるわよ」
 とびっきりの笑顔で挑発。
 楽しい幽香との殴り合いの始まりだ。




 ああ、確かに映姫さまの機嫌、お悪かったよ。全く、あんたもそうなる前に止めてくれればよかったのにさ。おかげで、またあたいが怒られたじゃないか。
 しかたないじゃない、なんて言われても困るな。あたいとしちゃもう少しの奮闘をお願いしたかったね。しかも、映姫さまが地蔵だったこと、言っただろ。どうやらあんたのとこの白羽悪魔が、映姫さまにそういうことを言ったらしいんだわ。それ、あんた以外に情報源ないよ?
 え、それで機嫌が悪くなったのか、って。そりゃ、映姫さまだっていろいろ考えていることがおありだろうからね。それこそ、例の悪魔の言じゃないけど、目指す衆生済度と閻魔の仕事との関係とかね。閻魔になって、地蔵像とは比べ物にならない力を手に入れたけど、それで世の中が救えるかっていうと、そんなこともないからねぇ。
 お互い、死神だからわかってるだろう。生まれが違う? そりゃ、あんたとあたいじゃ、海の向こうかこっちかって、大きく違うだろうけど、死に関わるって意味じゃ同じだろう。それなりに、修羅場を見るもんだと思うんだが。
 やっぱりそうか。ほら、そうなりゃ我々は、いろいろ割り切れるわけさ。懇願する連中を切り捨てるのだって、あたいらの仕事だからね。それができないやつは、死神にはなれない。そんなことは、もともとお迎え死神(アンクゥ)だったあんたの方が、渡し死神のあたいよりずっと詳しいだろう?
 で本題だけど、あたいやあんたみたいな死神と閻魔ってのは違うんだよ。閻魔は、あたいたちみたいな似而非じゃない、本当の神だからね。とても強い。肉体だけじゃない、精神も何もかも、とんでもなく強靭なんだよ。前に波長を読める兎が、位相が違う、なんて言ってたけどその通りさ。干渉も受け付けないくらい、とんでもない精神の持ち主さ。
 だから、折れることもないし、割り切れることもない。どんなことがあっても、自分の望みに向かって邁進し、そうしながら自分の職務をこなしつづける。そこに矛盾があっても、それを飲み込めちゃうんだよ。
 神ってのも、因果なもんだよ。そうは思わないかい。
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