貨幣について
貨幣というものは、我々が普段使っているものである。ゆえに、普段なんの疑問を持たずに、それに価値を見出している。しかし、実際にはほとんど価値の無いものであって、「価値があると信じているからこそ、価値があるものである」というところを超えないものである。こうした認識を如実に示すのが、ハイパーインフレという現象の存在である。貨幣の信用がみなから失われた時、貨幣は文字通り「印刷された紙くず」と化してしまう。
こうした「信用があって初めて貨幣が運用される」という状況は、決して近代国家の紙幣のみではない。金銀などといった金属貨幣も、究極的にいえばこうした信用が重要となっている。
なにせ、金銀は食えない。道具としてもほぼ使えない。金銀というのは、結局持ち主の権力を示すためのものでしかなく、実用性は決して高くない。
つまり、金銀が貨幣として通用するには、「金銀を持っている人がえらい」という認識が共通していなければならない。そういう認識が通用してはじめて、「金銀を欲しい」と思う人が増え、「金銀で財産を保存するのがよい」と思う人が増えるのである。
そしてこうした認識は、社会に余剰生産力があって、一定程度こうした威信財(持ち主の権威を示す財産)を必要とする人間がいて初めて成り立つものである。もし、社会が困窮しているならば、「そんな何にも使えない金属よりも、まずメシをよこせ」となるからだ。
要するに、金銀が通貨として通用するためには、「金銀を威信財として欲するひとがおおいこと」「威信財を集められる人がいるだけの、社会の生産余剰があること」が大前提となる。
幻想郷の場合
さて、それを幻想郷について考えてみる。幻想郷の生産状況はよくわからない。まったくわからないといっていいだろう。なにせ、魔法の存在する世界であるので、あまりに振れ幅が大きすぎる。
以前、幻想郷成立時の社会状況や、幻想郷成立の目的といった面から人口を推定している。しかしこの推定は、魔法の存在をできるだけ排除した場合の数値であり、仮説の域を出るものではない。
しかし、幻想郷社会で最低限規定されることがある。それが、幻想郷が閉鎖性社会であり、外部との交易がごく限定的であること。そして外部との交易がごく限定的でありながら、存在しているだろうということ。
前者は言うまでもない話、後者は熱帯性植物であるコーヒーが幻想郷に存在していることなどから推察することができる。
さて、問題はこうした社会において金銀がどのような役に立つだろうか。一定以上社会が大きかったとするならば、すなわち、威信財としての金銀を集積するだけの社会余剰が存在し、かつ社会構造が複雑化していたとすれば、ことさら問題はない。幻想郷では自立的な貨幣経済が形成されている、と捉えることができるだろう。
しかしながら、そのような社会規模がどの程度か、というと非常に大きいものと言わざるを得ないように思う。日本における本格的な貨幣利用の開始は鎌倉時代であるが、これは日宋貿易・日元貿易という、強力な後背地の存在があってこそ可能であったことである。ヨーロッパやアラブ地域における貨幣利用も、広範な交易が存在してこそ成立しえた。中国でも、本格的な貨幣利用は戦国期(紀元前400年代)にまでズレこんでくる。そしてそれは当然ながら、非中華地域にまで及ぶような広域交易が発展したからこそ、といえる。
こうした大きな社会を幻想郷で想定するならば、それで貨幣経済の成立といってよい。もっとも、これには人口数百万という規模が必要となってしまう。それだけの経済圏が成立してきて、初めて貨幣経済が成立してくる。
個人的には、だが、そこまでの規模を幻想郷に求めるのは少しむずかしいように思われる。
それでは、どういった状況が考えられるか、日本史の例を少し振り返りつつ、考えて行きたい。
日本史における貨幣
というわけで、改めて日本における貨幣流通についてさらりとおさらいしておく。日本で最初に貨幣が用いられたのは、奈良時代である。より細かく言えば、天武天皇のころの「富本銭」が最初である。それ以後、「和同開珎」を始めとして皇朝十二銭が次々と作られている。
このような貨幣鋳造は、律令国家成立の一環である。奈良時代の日本の目指す所は、一言で言えば「中国のような中央集権国家の成立」である。それは、隣の中華帝国からの圧力を受けて、日本をなんとしてもひとつにまとめる必要があったからである。律令の導入もその一環であったし、独自貨幣の鋳造もまたそうした流れの一環である。
では、それがうまくいったか。否である。
残念ながら、この時代の日本には独自に貨幣を流通させるだけの流通経済が成立していなかった。そのため、いくら国の側が頑張って貨幣を鋳造したところで、それが広く出回ることがなかったのである。
こうして平安時代半ばには、再び無貨幣経済へと戻る。
貨幣が定着するのは、先も述べたとおり、鎌倉時代(1200年代)に入ってからである。この背景には、日本国内での流通が活発化してきたことがある。院政期(1100年代)には布が貨幣の代わりに用いられるようになっており、それがやがて中国で作られた宋銭に取って代わられることになる。
この際のポイントは、流通する貨幣があくまで宋銭であり、自前のものではないことにあると思われる。
どういうことか。つまり、貨幣の価値を日本の国が独自に担保することが出来なかったということである。
鎌倉時代の日本で、宋銭のどういったところに価値があるか。それは、おそらく「中国との交易で利用可能である」といったところだろう。
このころ、日本と中国の宋朝との間では、私交易が非常に活発に行われている((こうした交易は、院政期、つまり1100年代から活発になってくる。宋が成立して中国大陸が一時的ながら安定期を迎えたことが背景にある。))。宋は、火薬の原料である硫黄や銭の材料である銅を求めて日本との貿易を望んでいた。また日本は、自前で生産できない生糸や絹織物を求める必要がある。
こうした活発な交易の存在が前提となって、それに利用できる宋銭というのは、価値が高かったわけである。
そうやって、日本では貨幣経済が成立した。
つまるところ、この状態では貨幣経済は「外付け」なのである。中国という巨大な経済圏を背景にして、それに付随する形で貨幣経済を成り立たせている、といえるのである。
そうした状況を完全に脱するのは、1600年代の江戸時代を待つ必要がある。江戸幕府による「寛永通宝」の鋳造によって、日本は初めて「外付け」ではない貨幣を手に入れることになる。
ただし、これはただ経済圏の大きさの問題だけではなく、日本社会の構造も関係する問題である。そのため、「1600年代まで日本は独自に貨幣経済を成り立たせるだけの大きな経済圏を持たなかった」というのも早計かもしれない。
幻想郷の貨幣経済 ――「外付け」の経済
上で述べてきたのは、貨幣経済が「外付け」でも成り立つ、という話である。非常に簡単にいえば、「外部からの物資が、貨幣の価値を担保することがある」ということである。金本位制ならぬ、「外部本位制」とでもいえばいいだろうか。交易で使えることが、価値になるのである。こうした状況は、幻想郷でもよく当てはまるように思われる。もし幻想郷が熱帯地域まで含んでいるのではなければ、幻想郷では外の物資を何らかの形で輸入する必要がでてくる。実際のところ、幻想郷が全く外との交流なしに成り立っているとはいささか考えにくく、何らかの勢力(おそらく紫)による管理貿易のようなものは成り立っていると考えるのが自然に思われる。
となれば、そうやって入ってくる外の物資を手に入れられる「貨幣」が、幻想郷内で流通しえる可能性は充分にある。つまり、幻想郷においても、外の物資を価値の担保として、貨幣が流通している可能性があるのだ。
この可能性をさらに細かく分類するならば、外の貨幣が直接流通している可能性と、外の貨幣とは別の貨幣が流通している可能性がある。
創作界隈では、どちらもよく使われると思われる。
前者は言うまでもない。その貨幣を、交易を管理する勢力がそのまま外で使い、また外から持ち込むだけである。つまり、外の景気と殆ど連動する形になってくる。
しかしこれは、外での物価変動の影響をもろに幻想郷内部へ持ち込むことや、幻想郷内部における貨幣量の調整を行いにくいという欠点を抱えているように思う。
対して後者は、交易を管理する勢力が外の貨幣で外の物資を手に入れたあと、中の貨幣で中に売るという段階を経る。これは、貨幣の管理が少々煩雑になる反面、物資の値段によって幻想郷内の貨幣量や物価統制が可能になってくる。
以上どちらが幻想郷の貨幣制度かは判然としないが、このような外に価値担保を求める体制である、というのが幻想郷の貨幣制度として妥当ではなかろうか。
おわりに
ここまで、日本史を参考にしながら幻想郷の貨幣制度について考察を加えた。その結果として、流入する外の物資を価値の担保として、貨幣を流通させているのではないか、という説を立論してみた。なお、この背景にあるのが、幻想郷が統制貿易下であるという観念である。これは日本の鎖国体制((現在では、厳密には鎖国体制という言葉をあまり用いなくなっている。江戸時代の日本は、貿易を幕府が独占し管理していた「海禁」であったと評価されるようになっている))を参考にしている。つまり、ある勢力が貿易を独占してその物資の出入りを完全に管理している体制である、ということである。貿易の独占は、権力を支える上でも大きな意味を持っており、それによって他の勢力から優越する。
幻想郷も、そのような体制ではないかということを前提としている。
なお、筆者には経済学がまったくわかっていないため、貨幣経済理解には重大な誤りがあるかもしれない。
そこをご承知いただければ幸いである。