1 次の文を読んで後の問いに答えよ。(45分・50点)

 妖怪というものについて全く考えたことのない人間は、この幻想郷に殆どいないといってもいいのではないだろうか。
 幻想郷に住んでいる限り、妖怪と全く接触せずに過ごすことは不可能である。人里にも入り込んでいる妖怪たちは、今や人里社会を経済的にも支えている。昨今の統計によれば、妖怪が人里を訪れなくなった場合に生活が困窮する店は、三割に上るという。意識無意識に関わらず、妖怪と人間とが交流を行うのは、もはや必然の世の中になったということができるだろう。
 しかしながら、それでは我々人間は、一体どの程度妖怪のことを理解しているといえるだろうか。姿形が人間に似ているということから、安易に人間と同じようなものであると捉えてはいまいか。また、妖怪のことを過度に崇めたり、見下したりする傾向があるとはいえないか。
 この幻想郷に人間の里が存在しているのは、妖怪にとって人間が欠かすことのできない存在であるからだ、という言説は人里においても人口に膾炙する巷説であるといってもよいだろう。妖怪は人間を食さなければならないため、人間を失ってしまっては妖怪は存在できなくなる、とする。この言説は、二つの認識を含んでいるといえよう。
 一つは、未だに妖怪が人間を食らうことによって生活している、という認識である。今となっても人食いの妖怪が人里周辺に出没することもないとは言えない。そのため、幻想郷に生まれた人間にとっては妖怪に関する最も親近感のある認識であるといえるだろう。また、人里に伝わる民話民謡のうちのいくらかは、我々の先祖が妖怪によって食い殺されたというものを含んでいる。妖怪すなわち人喰らい、という公式は幼い頃より人々の間に刷り込まれてきたものといって過言ではない。
 もう一つが、幻想郷という土地が妖怪にとっての楽園でしかない、という認識である。数少ない文献を調べる限りでは、外の世界ではもはや妖怪が生活する場というのは残されていないという。それからすれば、この幻想郷は妖怪にとって楽園と言う他はないだろうし、今では幻想郷の妖怪の数は、人間の数をはるかに凌駕している。そのことを以て、幻想郷の人間とは所詮妖怪存続のための道具でしかない、と言う人間もいる。
 しかしながら、現代の幻想郷を振り返ってみると、これらの認識に基づく幻想郷とはいささか1異なる状況がみえてくるのではないだろうか。
 稗田家の所蔵する記録を見る限り幻想郷が成立して以降、妖怪によって捕食された人間の数は減り続けている。博麗霊夢が当代の巫女を襲い、弾幕決闘法が流布してのちは、捕食される人間のいない年も見られる。つまり、幻想郷は人間を妖怪から逃さぬというよりは、むしろ妖怪から守る役割が強いとさえ言い表すことができる。また、幻想郷の成立前と後とを比べてみると、凶作の割合は下がっており、幻想郷の現在の仕組みは人間にも大きな利益となっている。つまり、幻想郷は人間にとっても楽園であるということができるのである。
 この言説は、先に述べたような認識が背景にあるのは事実であるが、さらに踏み込むと妖怪が人間に存在的に依存している、という議論へと繋がってくる。妖怪の賢者として知られる彼の八雲紫氏も、人間があってこその妖怪であり、人間の存在が妖怪の存在には欠かせないとする。妖怪とは、人間という存在があってこそこの世に存在しえるのだ、という議論は巷に広く流布しているといっていい。人間にとっては、妖怪より上位の存在であると自らを認めることができ、不満の解消につながる。妖怪にとっては、人間を減らし過ぎぬようにすることができる。結果として、幻想郷では、2人妖双方にとって理解しやすい論なのである。
 さて、本当にその論が正しいと言えるかは、問題となろう。つまり、妖怪は人間に従属する存在か、ということである。ここでは、逆に人間とは如何なる存在か、ということを改めて考えなおしてみることから、妖怪と人間との関係について考えていく。
 科学の成果によれば、人間は猿から進化したという。二足歩行を行い、知性を得た猿が人間であり、それら以外に他の生物との差はないとされる。一説によれば、人間と猿との差も殆どないそうだ。生物という括りから見れば、人間もその範疇に入ることは逃れぬわけで、動物と大差ないという言葉も頷きようはある。外の世界の書物によれば、実体としての人間の構造は他の動物ともあまり変わらないようである。人間が死ぬということは、実体の構造が機能しなくなったということ。この視点からすれば、人間はその実体こそが本質のようにも思えてくる。
 一方で、人間の持つ精神に目を向けた時、そう簡単な納得ができなくなる。精神というものは、生物の中では人間のみが持つものである。そして人間はこれを持つからこそ人間であり、妖怪と接触することができる。元来、生物としての実体に問題がなければ、存在としても正常であり"健康"ということができるはずだ。しかしながら、人というものは精神の安定を得ることができなければ、健康を得ることもできない。人は精神が死ねば、たとえ実体に問題を抱えておらずとも、死んでしまうものである。人間の存在について考えるにあたっては、ただ実体面からのみ考えればよい、というわけでもない。つまり、人間は実体のみを持つ動物として進化しながら、精神を得た存在であるということができる。
 精神がその存在に対して大きな役割を担っているものとして、妖怪が挙げられる。妖怪が人よりも精神に偏った存在であることを知らぬ人はいないだろう。このことから、人間が精神を持つからこそ、妖怪が存在するという者さえいる。その通り、妖怪とは精神世界の状況をより実体に反映させやすい存在であり、だからこそ妖怪は長命を保ちまた力も人間を凌駕している。さらに、妖怪の中には実体が朧げなものさえいる。例えば、八雲紫氏の実体は普段少女の姿であるが、如何なる姿にも変容可能であると言われている。その精神の有り様に従って、実体が変わるのである。
 こうして考えると、3人間と妖怪とがまるで対の存在と捉えることはできないだろうか。人間は、その実体に応じた精神を持ち、精神が死ねば実体も死ぬとはいえ、精神的な強度はかなりのものである。妖怪は、その精神に応じた実体を持ち、実体が死ねば精神も死ぬとはいえ、実体の力は相当である。つまり、人間という存在は、精神よりもより実体に依存する部分が大きく、精神の傷よりも実体の傷が重くなりがちであるといえよう。同様に、妖怪は実体よりも精神に依存する部分が大きいということができる。要するに、人間が実体を存在の軸としながら精神側にはみ出しているといえるのに対し、妖怪は精神を存在の軸とし、実体側にはみ出しているということができるのだ。
 妖怪が人を食らうことから人と妖怪とを対と見做すことに拒否感を持つ人間もいるだろう。だが妖怪が人間の実体を喰らい、その存在を維持するように、人間は妖怪退治という形で、精神的に妖怪を克服し、その存在を維持している。実際、食された人間と退治された妖怪との数を比べると、それほど大きく変わらない。捕食関係の上でも妖怪と人間との差は大きくないのである。
 故に、人間と妖怪との関係というのは、決して上下をつけられるものではない。人間と妖怪とは、対立しながらも4互いを補完しあう存在であるといえよう。人と妖とは、互いがなければ立ち行かないのである。
 かかる論には、反論もあるだろう。補完関係にあるならば、外の世界のように人間が妖怪を駆逐することもないのではないか、と。
 だが、先にも述べたように人間とは精神を持っており、これも存在の維持に重要な位置を占めている。仮に、実体がいくら豊かになったとしても、精神を満たさねば意味はない。外の世界のように、妖怪を追放し精神の世界が存在するということ自体を否定してしまえば、どのように精神を満たすというのだろう。精神の豊かさを得ざれば、結局人間の存在を維持できず、遠からず滅びるのも必定といえまいか。
 これは、妖怪についても同じことがいえる。すなわち、妖怪が力に任せて人間を滅ぼしたとすれば、それは実体の否定といえる。いくら精神的に豊かになろうとも、妖怪は所詮実体ある存在である。実体がもし貧しければ、やはり存在を維持できなくなるのである。
 人間は妖怪を必要とし、妖怪もまた人間を必要とする。これを指して補完と言わなければなんと言えばよいだろうか。
 幻想郷にて、妖怪が人間をすべて狩り尽くすことがなく、人間も妖怪を討ち果たさない理由はここにある。幻想郷の環境を守る上で、人妖が双方存在することは欠かせぬ条件といえる。幻想郷とは、人間と妖怪とが互いにその存在を維持し発揮するに相応しい世界であるのだ。幻想郷を"人妖の楽園"と呼称するのは、このような理由によるものである。
 弾幕決闘法が人妖双方に受け入れられ、あまつさえこれだけの流行を見せていることもこのあたりに理由を求めることができよう。人は妖を打ち倒すことで精神を確立し、妖は人を喰らうことで実体を確認する。ここには自らの存在を賭けねばならなかった。しかし、弾幕決闘法であればそのような必要はない。それでいて、妖怪は実体ある弾を操り、あるいは実体を傷つけられることを通して、実体を感覚し自己存在に取り込む。対して人間は、美しさという精神的なものによる勝敗により、自己の精神性を磨く。つまり、弾幕決闘法は自らの存在という何にも変えがたいものを賭けることなく、人間も妖怪も自らの必要とするものを相手から得ることができる、きわめて合理的な法なのである。
 妖怪と人間との均衡こそが重要であり、かつその存在を互いに認め合うことが必要な幻想郷にあって、5今や弾幕決闘法は欠かせないといえる。気まぐれな妖怪が、いつまでもこれを遵守するのは、ここに理由があるのだ。
(稗田阿求「妖怪とはなにか」)



問一 下線部1「異なる状況」とはどういう状況か、説明せよ。(100字程度)
問二 下線部「人妖双方にとって理解しやすい論」とはどういうことか、わかりやすく説明せよ。(75字程度)
問三 「人間と妖怪とがまるで対の存在」といえるのはなぜか、説明せよ。(100字程度)
問四 「互いを補完しあう存在」とはどういうことか、説明せよ。(150字程度)
問五 「今や弾幕決闘法は欠かせない」のはなぜか、説明せよ。(125字程度)

 とある寺町通りの古本屋をさまよっていたところ、どこかの大学の入試問題と思われる文章を発見した。
 大問一つ分しか残っていなかったのが残念であるが、それでも貴重な史料には間違いない。

 そこで、とりあえずは問題だけをPCに打ち込んで皆にも見てもらうことにした。 幻想郷研究の参考になれば幸いである。

 縦書のPDFはこちらに用意した。
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